プロジェクトでカイゼン [Project de Kaizen] 第94回

社長、それではプロジェクトは失敗します。
 (その13)論破してもされても、良いことはひとつもありません。

前回は、好き嫌いだけではリクツが通らない事例を紹介しました。ただ、経営の意思決定で好き嫌いがきっかけになることはありえます。その場合でも、社内の公式文書として記録が残せるかがギリギリの限界ではないだろうかと述べました。また。好き嫌いを積極的に説明の前面に位置づける事例も紹介しました。二つの事例とも、相応のリクツがありました。
今回は、リクツと言うと必ず出てくる論破について述べることにします。

【1】論破とは
論破とは、議論をして相手を言い負かすことです。議会などで対立する政策についての議論では、論破されることもあります。ただ、伝統的に「和をもって尊しとする」わが国では、自分とは異なる意見に対して耳を傾ける良い伝統があります。耳を傾けることは無くても、少なくとも異なる意見の存在を認めます。これはわが国が世界に誇るべき国民的習慣のひとつです。
ほとんどの場合、異論にも取り入れるべき長所があるものです。それを何のためらいもなく積極的に採用する、それが組織の持てるパワーを最大限に発揮することにもつながります。

従って、論破はわが国の組織運営においては不要なものと言えます。特別な場合、例えば商品政策の誤りを大きく修正するようなときは、論破する必要があります。ただ、そのような場合でも論破というかたちはとらずに筋道だった構成で説得し、関係者の納得を得るようにすることになります。わが国はディベートが社会的に定着している米国などと異なります。何かにつけ論破したがる人は、企業などの組織で重きをおかれることはありません。論破されたとしても、論破などとは異なる別の次元の重要なことがあります。

【2】よくある大義名分論
連載で「リクツ」という言葉を使っています。これは、論理、筋道が通る、整合性などに置き換えられます。必ずしもリクツに合わないことのひとつに大義名分があります。事実とは異なるが「こうあってほしい」「こうあるべき」という考え方です。幕末の「尊皇攘夷」はまさに倒幕活動の大義名分でした。政権が徳川幕府から明治政府に移ったとたん、政策は「攘夷」から180度転換し「開国」になりました。

自動車業界は世界的に電気自動車(EV)化の潮流が勢いを増しています。現在の貿易収支で稼ぎ頭である自動車産業を守れというのも大義名分論です。この業界で働く労働者は500万人もいるのだから「雇用を守るべき」は願望に過ぎません。これまでの最大の参入障壁はクルマのエンジンでした。エンジンの開発と生産でわが国はドイツなど他を圧倒しました。ところがEV化によりエンジンが不要になりました。わが国の優位性は失われ、ドイツや中国と同列の競争になります。また、アップルやソニーなどの異なる業界からの参入も増加するでしょう。これが現実論です。「雇用を守る」という大義名分論は通用しないのです。雇用を守るためには現実的な施策を考える必要があります。企業ごとに様ざまな大義名分があります。創業者の遺訓がDX化の現在にマッチしないこともあるでしょう。もちろん、現実論ばかりでは、夢はないのか、大志はないのかということになりますが、大義名分はつねに現実という尺度で測りなおす必要があります。

【3】全体を俯瞰する
論破は、わが国の組織運営では不要と述べました。そのかわり、論破などとは異なる別の次元の重要なこととして「全体を俯瞰する」があります。様ざまな事例や事実を客観的に理解できる能力が知性と思われます。従って、全体を俯瞰する能力も間違いなく知性の一部になります。

クルマがEVになると、部品点数は1/3に減少するそうです。部品メーカーの仕事量は圧倒的に減少することになるでしょう。このように、現在わかっている情報だけでもそれなりに全体を俯瞰することができます。経営者の知性によって、論破などは無用になるとともに願望論やあるべき論に振り回されずに現実論との調和をはかることができます。