プロジェクトでカイゼン [Project de Kaizen] 第93回

社長、それではプロジェクトは失敗します。
 (その12)好き嫌いだけではリクツが通りません。

前回は、リクツを通すなら完全でないとダメなことを構造改革の事例で紹介しました。大規模な構造改革に際して、改革の方策を小出しにして失敗した事例と行き届いた改革案をつくって大成功した事例を対比しました。後になってみると、小出しにして失敗したことは当然の結果のように見えます。しかし、誰でも大きな変革での対処は手際よくできなくて当たり前です。それが未経験の状況であればなおさらでしょう。経営者としては、何であれさまざまなことを学んでおくことはそれなりの意味があります。
今回は、経営の意思決定に際しての好き嫌いの問題について述べることにします。

【1】解雇するのはキミが嫌いになっただけ
まずは、経営トップの解雇に関する事例です。米国フォード社の会長だったヘンリー・フォード2世が、同社の経営再建を果たしたリー・アイアコッカ社長を解雇したときの言葉として伝わっています。アイアイコッカはフォードの販売部門に戦後まもなく入社して以来、大ヒット商品の開発責任者としてあるいは低迷していた事業部の再建などで大成功を収め1970年に社長に就任します。もちろん、同社のオーナー会長であるヘンリー・フォード2世の絶大な信頼があってのことでした。
解雇されたのは1978年、フォード社が2年連続して史上最高の売上高達成を発表した直後のことだったそうです。「別に(解雇の)理由は無い。キミが嫌いになっただけ」と伝えられていますが、理由が無いわけはありません。その理由はいくつかあったのですが、こういう経営者レベルでの解雇は理由、つまり解雇するのにリクツはいらない、ということだったのかもしれません。
(以上、ウイキペディア リー・アイアコッカを参考にしています)

【2】社長が好きな武道は柔道です
企業が海外に進出し現地で工場などの拠点を構えると、現地の自治体や民間団体から様ざまな支援や寄付などを要請されることが多いそうです。全てにつきあっていると手間もおカネも無視できないほどに膨れ上がる。どうするか、その対処策のひとつとして評論家で作家の日下公人氏の著書に次のようなことが書いてありました。

例えば、現地古来の武道について支援を要請されたら「わが社の社長は、柔道が大好きです。柔道でしたら支援できるでしょう」。

たんに断って済ませるだけでは、現地社会で良い関係をつくることはできません。また、相手の言うとおりでは真の支援にはならないでしょう。こちらに知識も実績もあるものをやってもらうのが良いのではないか、ということです。柔道は一例だとして、リクツとしてはこのような支援は日本文化の広報活動をやることに他なりません。そういうリクツではなく「社長の好み」を前面に出しての説明です。社長の好きなものの代わりとして、社内のサークル活動などでも良いわけです。リクツだと反論がありえますが、好きか嫌いかは反論しても意味がありません。これは、海外か日本かいずれでも同じでしょう。

【3】意思決定で好き嫌いが避けられないとき
最初に述べた米国フォード社の事例では、解雇に値する独断専行があったことが後で明らかにされています。訴訟社会の米国では、従業員ならかんたんに解雇できる法律があります。しかし、経営者レベルの人物だと解雇が訴訟にもちこまれたときに対抗できる証拠が準備されていたのでしょう。たんに好き嫌いだけで解雇したのではないことがわかります。

経営者として、新商品開発、拠点の新設や廃止、他企業との共同ビジネスの契約、人事など様ざまな意思決定を迫られます。決定の基本は合理性であることは間違いありません。通常はそれで決まるので問題はありません。時に(決してしばしばではないと思いますが)、経営者としての意思決定に好き嫌いの要素が含まれることがあります。そのようなときにどうすべきでしょうか。

【4】公式文書として記録が残る
決定の理由や根拠を社内の公式資料として記録できるか、ひとつのポイントとしてこれがあります。文章にして意味をなさないものは、本人を含め誰も理解できません。それでも実行するようなら専制君主的な行動になり信頼を失います。自身で公式資料となるべきものを書いてみる、文章化されたものが公式文書として企業の歴史に残ることになるわけです。この歴史という審判に耐えられると自身で判断できるのかどうか。意思決定に好き嫌いが含まれる限界はここにあるのではないだろうか、筆者はそのように考えています。