7月のご挨拶

7月になりました。

今月7日に東京都知事選挙がありました。私は東京に住んでおり、家の近くには選挙ポスターを貼る大きな掲示板があります。私の都知事選挙の記憶は、前の東京オリンピックが開催された1964年の東龍太郎さんや、その次の美濃部亮吉さんの頃の選挙風景にさかのぼります。当時の掲示板は小さく、現職の都知事や有力な対抗政党の立候補者が数人、それとその他数人のポスターが貼られる程度でした。小さな面積に密集してポスターが貼られていたので、全員の顔や名前が一目ではっきり分かるような掲示板でした。

現在の掲示板の構造は基本の30人分の枠と、予備の21人分の枠があり、合計で51人分のポスターを貼れるようになっています。当選者は1人ですから十分な枠数だと思いましたが、今回の立候補者は過去最多であった前回の22人を大幅に超えて、56人の立候補者がいる異様な事態となりました。

掲示板に貼られているポスターを見ると、一部の有力候補を除き、ほとんどの候補者は知らない名前や顔ばかりです。多くの立候補者の300万円の供託金は没収されることになりそうです。ちなみに前回は、当選した小池百合子氏を含む上位3人を除いた19人が没収の対象となり、合計額は5700万円に達したとのことですが、今回は1億円を超える見込みです。

供託金の大部分が没収される可能性が高いのに、なぜ多額の費用をかけて立候補するのか疑問に思い、ネットで調べてみました。すると、街頭演説や政見放送などで得られる売名目的や営利目的とした宣伝効果が主な理由だと分かり、なるほどと思いました。しかし、SNSを日常的に使用しているデジタル世代の人たちには、ポスターや演説などの古い方法は魅力がないのではないかと考えていました。それにもかかわらず、立候補している理由が不思議だったので、何人かの若い人たちに意見を聞いてみました。

すると、彼らがYouTubeやTikTokなどのSNSを活用して情報発信をしている中で、ポスターや演説をデジタルメディアと組み合わせることで、発信力をさらに高める手段として非常に効果的であると考えていることが分かりました。選挙の本来の目的からは賛否がありますが、デジタル世代の人々が、古く見られがちなアナログ手法を新たな強力なコミュニケーションツールとして利用しているということですが、私には思い付かない考えでした。決して褒められることではないのでしょうが、選挙さえもツールとして利用してしまうという発想は、時代の変化と多様性に富んだ若い世代の発想という点を再確認せざるを得ませんでした。若い人達と新しい考え方を取り入れた多様性の高い柔軟な議論をすることで全く考えもしなかった新しい発想が生まれる可能性を感じました。

工場にはこれまでに積み上げたカイゼン技術がありますが、これを過去のものとせず新旧の知識と技術を統合しフルに活用し、カイゼンをさらに効果的なものに変えていきたいと考えています。


日本カイゼンプロジェクト
会長 柿内幸夫