若かりし頃に残業や休日出勤などがむしゃらに仕事をしていましたが、突然倒れたことがありました。すぐに入院しましたが、2週間は起き上がることができず寝たままでした。今まで非常にアクティブに動いていたのに、起き上がることもできず急に生活様式が変わりました。
ベッドの上で点滴を受けるという安静状態になり、時間が完全に止まった気がしたものです。することもないので、500㏄入りの点滴が1分間に落ちる時間を数えたり、般若心経を唱えたりしたものです。ちなみに1㏄は、平均17滴です。
ベッドから見える風景は、入院患者さんや医者や看護師さんの姿でした。ある時、杖を突いて歩いておられる高齢者の方を見た時に気づきを得ました。ゆっくりですが歩いておられるのです。動けなくなったことで、見えなかったものが見えてきたのです。それまで馬車馬のように働いていた時は、他の人がまるで止まっているかのように感じていたのです。何でももっと早く仕事ができないのか、なんでそんなに仕事が遅いのかと他人に愚痴ばかり言っていたのです。
入院して今まで自己中心になっていたことが、動けなくなったことでようやくわかったのです。残念ですが人は痛い目に合わないと、なかなか理解や納得ができないものです。病気になったことで、その後の人生観ががらりと変わりました。若い時に気づきを得て、逆にこの入院がとても貴重な体験になりました。万事塞翁が馬という諺もストンと腹に落ちました。
回り道を歩くことは何かを示唆しているのではないかと、せっかくならありがたく体験させてもらう前向きな姿勢に変えました。「生きている」というおこがましい考えから、「生かされている」という考え方に変わることができました。それ以降は、奉仕や貢献などという裏方の方に回るようになりました。
現場改善を行うようになってから、動かないで立ち止まって被観察者をじっくり観察することで、見えなかったムダがよく見えるようになったのです。さらに被観察者の動きを導線で描きながら1時間も追っていくと、今まで気づかなかったことがどんどん見えるようになってきたのです。
早く動いていると、それ以上に遅い動きは見ることは難しくなり、気づきも少なくなります。なぜならば自分のことに精一杯になるので、他を見る余裕もなくなるからです。大野耐一氏が、ムダが見えないから「そこに丸を描いて立っておれ!」と指示されたことの意味がよくわかるようになりました。
仕事が忙しいといって、立ち止まって観察する時間を取らないというか放棄している上司はいませんか?ムダやロスが見えないので、放置しているからこそ逆にその繰り返しになってますます時間の余裕がなくなってきます。ここで腰を据えて15分でも時間を取って立ち止まる勇気と時間を取ることで、ムダやロスを発見し廃除していきましょう。そうすることで、少しでも余裕ができて改善が少しずつできるようになるのです。