プロジェクトでカイゼン [Project de Kaizen] 第172回

プロジェクトチームの休憩室(20)

連載の前回は、本年1月に起こった羽田空港での航空機どうしが衝突するという大事故に関連する話題をとり上げました。衝突事故の影響で羽田空港は閉鎖されましたから、羽田空港に発着するすべての航空便は着陸空港を変更せざるを得ませんでした。つまり、これら全ての航空便は羽田空港の近隣にある成田空港や茨城空港などへ着地変更することになりました。影響はこれだけではありませんでした。近隣とはいえ成田空港や茨城空港から都心まではかなりの距離があります。これらの空港から羽田(都心)に向かう乗客のアクセスをどう確保するかという大問題に直面しました。結果は、新幹線や在来の鉄道やバスなどの事業者の自主的でしかも機動的な対応が実現することにより、理想的とも言える対応が実現しました。わが国の交通インフラはこのようなソフト面においても優れて高いレベルにあるとの筆者の感想を述べました。今回もこの続きです。


事業者のレベルが高い
交通インフラに携わる事業者において、それらを支える従業員や職員の方々のレベルが高い。筆者はまずこれがあると思います。職務に対する実践のスキル、職業人としてのモラル、使命感などいずれの面でも高いレベルを感じます。まず実践のスキルです。先日、筆者は電車運転士の育成をとり上げたテレビ番組を見ました。ひとり前の職業人として、組織で認められるためにはなかなか難しいプロセスを踏んでいく必要があることを紹介していました。「つねに多くの人命を預かる職業」とは何か。筆者のような乗客の立場からは想像できない厳しさがあることをこの番組を通じてあらためて知ることになりました。テレビ番組としては、編集によりある程度の脚色ができるのかもしれませんが、筆者の体験を照らし合わせると現実を伝えるものとして感銘を受けました。次に述べるのは、このような事業者のサービスを受ける立場になる利用者についてです。

利用者のレベルも高い
海外からのわが国への観光旅行者の第一印象はどこに行ってもきれいで清潔ということを聞きます。代表的なところとしては、空港、鉄道駅のホームや待合スペースなど掃除が行き届いています。世界各国の鉄道を撮影したカレンダーを見ると線路にチリやゴミがある情景をそのまま撮影したものがありました。恐らく、撮影者としては、海外の多くの国々ではチリひとつ無い状態を発見することは難しいのでしょう。これで筆者はわが国の「きれいで清潔」は世界のトップレベルにあると思っています。少なくとも筆者の体験した海外諸国に限定すれば間違いなくトップに位置づけられると確信します。わが国においては、事業者だけでなく利用者マナーのレベルが高いことも大きな要素になっています。

また、そのレベルに対応して事業者としてサービスの最前線を受け持つ人たちのサービスのレベルも注目に値します。例えば、筆者が利用する乗合バスの一例です。バスが終点に到着し乗客全員が下車したときの運転士の定常的な業務を紹介します。まず、座席やフロアをチェックします。忘れ物・落し物などのほか、かんたんな清掃をすることもあります。ひと昔前には、居眠りした乗客をバスが車庫に着いてから「発見した」こともあったと聞きました。この地域では公営と私営合わせて4つの事業者が運行しています。全ての事業者において必ずしもこのような対応が徹底しているわけではありません。しかし、全体としてはきわめて丁寧な対応であると称賛に値します。次に、サービスを提供される側である乗客について述べます。

乗客の問題 悪行が無くならない
しばしば報道されるように、乗客などによる悪行はなかなか無くなりません。とくに駅員やバス・タクシー乗務員などに対するいわれない暴言や悪口雑言、そして暴行などはなかなか後を絶ちません。これらは大半が酔っ払いによるものだそうですが、酔っ払いでないケースも20%ほど存在するとのことですが、これは明らかに意図的なものです。酔っ払い状態かどうかを問わず厳しく取り締まって欲しいと考えます。わが国では、従来から酔った状態での迷惑行為には「大目に見る」傾向がありました。これはもはや時代錯誤でしょう。例えば、クルマの運転で起した事故は酔っ払っていた場合は、より厳罰が課されます。これがごく当たり前の対応です。運転士の業務遂行には相応の資格が必要になります。ところが乗客は運賃さえ支払えば何の義務も無いかのような悪質な行動が存在します。運転士と乗客、それぞれの「義務」について、大きな非対称性があります。乗客にも相応の義務が必要であることを社会の常識にしたいものです。

なぜかサービスのスタッフを見下す愚かな人たち
ここでのサービススタッフとは、公共交通に従事する人たちに限らず不特定多数の消費者に提供されるサービスを提供する業務に従事する人たちを指しています。例えば、コンビニ、レストラン、スーパー、駅や市街地の売店、電車やタクシー、貨物輸送業や宅配業などのドライバーやスタッフです。本稿では「公共サービス」と記述します。これらに関わる業務は社会の流通などを支える基幹となるものです。人体の機能で例えれば動脈などの血管といった重要で、しかも無くてはならない機能となります。血管が正常な機能を果たさなければ健康を著しく損ねます。それにも関わらず、公共サービスのスタッフを見下す愚かな人たちが一定の程度存在します。これらサービススタッフをまるで自分の召使いまたは奴隷かのような尊大な態度をとる人たちのことです。

仕事は背骨である
筆者が思うには、このような人たちは自らの仕事に意味や誇りを持てない(または、持てなかった)人たちなのでしょう。そういう観点からは気の毒なことだとは感じますが、悪行が許される言い訳にはなりません。筆者は上司から「仕事は人生の背骨である」と聞いたことがあります。であれば、人は生涯に何かひとつは仕事と言えるものを持つ必要があります。自分にとって何らかの意味をもつもの、そういう仕事を持つことが人生の背骨ということかなと思います。

(次回に続く)