プロジェクトでカイゼン [Project de Kaizen] 第169回

プロジェクトチームの休憩室(17)

連載の前回は、我われ日本人は事実を事実として受け入れることができないことを述べました。その一例として「政経分離」という言い方をとり上げました。隣国の中国は政治的にはわが国のような民主主義国家とは全く相容れない独裁国家であることは明らかな事実です。ところが、経済は政治とは別ものとすっぱりと割り切って深い関係を続けています。邦人に対するいわれの無い不当な拘束が現実に起こっているにもかかわらず、その事実はどこ吹く風といった感じでひと言の抗議もしないのがわが国の経済界です。その背景にわが国政府の弱腰外交もあります。このような外交姿勢は論外として、経済界は事実を全く受け入れていないのです。ビジネスの基本倫理とはウソやごまかしが無いこと、これに尽きると述べました。事実を事実として受け入れないことは、これらと同列の悪行につながっています。今回は、これらの悪行とはまさに対極にある善行のお手本となるビジネス事例を紹介します。


社会に定着した宅配便
宅配便はわが国社会にとってすっかり定着した基本インフラとなりました。最近の筆者の体験を述べます。旅行のためスーツケースを事前に空港に送ることにしました。当日、空港内にあるA社の窓口で受け取りました。ところが、スーツケースに4つ付いているキャスター(車輪)のひとつが壊れていました。送るときは何ごとも無かったので運送途中で破損したのでしょう。窓口係員は「我われの責任です。申し訳ありません」とのお詫びのあと、旅行終了後に修理するのでとりあえずはこのまま使ってもらえないかとの申し出がありました。キャスター3つでかなり不便だが使えないことは無いのでそのまま使うことにしました。かねてからこの企業を信頼していたので、その場でたった一枚の「事故証明書」をもらっただけで、旅行後の補償について何の不安もありませんでした。

補償のシステムがスタート
A社の営業所と本社から連絡があり、旅行後、問題のスーツケースを営業所に持参しました。その後しばらくして連絡がありました。「壊れたキャスターを修理しようとしたが、部品が生産中止になっており修理できない。従って、修理の代わりにスーツケースそのものを補償したい」「どの程度の補償になるか別途連絡する」とのことでした。このスーツケースは相応の年数を経ていたのでいつかは買い換えるつもりでした。

ほどなく、連絡がありこのスーツケースについての質問がありました。「いつごろ、いくらで購入したか」ということでした。「いつごろと言われても5~6年は経っているはず、海外の旅行先の現地デパートで購入したので価格は全く覚えていない。そのメーカーの同じもの(同じ製品型式)は日本でも販売されていた」と伝えました。筆者自身も気になりネットで調べましたが、その製品は既に生産終了で販売されておらず価格もわかりませんでした。

きちんとシステム化された事故の補償
その製品の販売価格について筆者はわかりませんでしたが,A社は調査できたようで連絡がありました。これで購入時の販売価格がわかりました。相応の年数を使っていますから、新品の価格からそれなりに割引された(償却後の)価格が補償価格になるとのことでした。この説明に筆者は合理的なやり方だなと好感をもちました。先に述べたように5~6年は使っていましたから、償却は終わったのでそれなりの価格になるだろうなと思いました。

具体的な補償金額の連絡がありました。やはり償却終了の金額でした。A社担当者はこの金額で納得してもらえるかとしきりに気にしていました。これから新品を買うには全く不足する金額でしたが、筆者にとっては何の問題もありませんでした。筆者はクルマも同じだなと考えました。マイカーに車両保険をつけるとき、数年使ったクルマに対して新車を購入できるほどの高額な保険金額を設定することはできません。筆者はA社を信頼していたので、補償金額は問題ではなく「貴社のルールに従って算出された金額であればそれで納得できる」と伝えました。担当者にはやや意外と言った雰囲気がありましたが、それではこの方向で手続きを進めますとのことでした。後日、取り扱い営業所の担当者から電話がありわざわざ現金を自宅まで届けてくれました。まさに誠実なビジネスのお手本と感じました。

高いレベルで定着している社会インフラ
筆者の体験は当たり前と言われればその通りの事例に過ぎないかもしれません。また、これとは逆に不誠実な事例も見聞きします。しかしながら、筆者の見るところ、宅配便のような猛烈な頻度で稼動する社会インフラとしてきわめて高いレベルの品質で運営されていることに驚きと敬意を感じます。そして同時にこのような宅配インフラの恩恵に対する行政や市民の感覚にはやや違和感があります。つまり、このサービスを受ける立場の市民としてその重要性や信頼性に対して何も感じていないように見えます。同時に、筆者は宅配サービスに対する社会や市民の配慮には物足りなさを感じていました。とはいえ、その配慮は少しずつ好転する兆しは見えるようです。

重要なインフラとしての認識
サービスに対する社会や市民の好ましい配慮として、例えば次のような事例があります。公共バスも通行する目抜き通りに「宅配便専用の駐車できる路側帯」が設定されています(まだまだわずかですが)。目抜き通りでの宅配車両は心ならずも違法駐車せざるを得ないことがあるでしょう。このような専用の駐車スペースは宅配ドライバーにとって力強い助けになることでしょう。また、マンションなどでは宅配便専用の駐車スペースを設定しているところも見かけるようになりました。逆に、空きスペースがあるにも関わらずこのような専用駐車スペースを全く設定していないところもあります。つまり、物流サービスに関してその重要性をまるで認識していない事例はまだ多く見受けられます。しかし、災害などが起こるとそのあり難さに感謝します。少しずつではあっても重要性の認識は高まっているように感じます。