プロジェクトでカイゼン [Project de Kaizen] 第160回

プロジェクトチームの休憩室(8)

連載の前回では、既成の権威を批判するのはわが国ではタブーであると述べました。そしてずいぶん以前のことでしたが、大阪市民のユーモアあふれる行政批判を紹介しました。それは「阪神タイガースのユニホームは縦シマ、大阪市役所は横シマ」というものでした。横シマは、もちろん「邪しま」を意味しているのですが、文字が示すとおりの邪悪ということではなく意地悪と言う意味だったのでしょう。自治体などの公共組織であれ、企業組織であれ、そして個人であれ意地悪な姿勢や行動は組織や個人の評価を下げるだけでなく、良いことはひとつもありません。結局のところ、それらは全てそのような姿勢や行動を発したところに戻ってくるように思われます。今回もこの続きです。組織の持てるパワーをフルに活かすために障害になることを述べていきます。


ギを言うなという方言
「ギ」とは討議の議のことです。ギを言うなは「リクツを述べるのはやめろ」という意味の筆者の出身地である鹿児島の方言のひとつでした。とくに先輩からこういう発言があった場合、それ以上の発言や反論は許されないことでした。現在はそのような悪習はもう存在しないのですが、高校や中学の同窓生たちとの会話でたまにこの方言が飛び出すこともあります。これはちょっとした笑いを誘って懐かしく感じます。

とはいえ、このような反論を許さない悪習はかたちを変えて現在でも存在しています。とくに上位者や優越的な立場にある人においては、自分以外の人たちの考えや反論を煩わしく感じるときに「とにかく言ったとおりにやれ」と短絡的な発言になることがあります。カイゼン活動では現場の考えや思い付きを重視します。それらを重視するのは当然のことですね。それが活動の柱になっているからです。わが国のカイゼン活動が、とくに製造業において定着しているのは他者の考えや思い付きを重視するという組織活動の基本をきちんと踏まえているからでしょう。

こんどの上司はどんな人
筆者が自動車会社に勤務していたときのことです。管理職の人事異動のころになると、上司が交代することもあります。部下としてはそれなりに気になります。あるとき、上司として別のA部署のB部長が筆者の部署の部長として異動になることが発表されました。実際の着任は数日後になります。A部署とは仕事上のお付き合いがありましたが、B部長とは面識が全くありませんでした。早速、A部署の知人Cさんに「B部長はどんな人?」と電話して聞いてみました。筆者としては「仕事には厳しいが話せばわかってもらえる」、「方針を示せば、細かいことは任せるタイプ」などのような説明を期待しました。Cさんとはそういう話題を話せる程度のおつき合いがありました。

ところが、Cさんは電話の向こうで「う~ん」と言っただけであとの言葉が続かないのです。筆者の質問に絶句した感じでした。かねてのCさんにはそういうことは全く無かったので、びっくりしました。結局、Cさんからは何らかの有効な情報は得られませんでした。B部長の着任まで待つことにしました。

部長はとても仕事ができる人
着任後、まずは我われの仕事について概要とその進ちょく状況を個別に部長へ説明することになりました。前部署の業務内容とはかなり異なるにも関わらず、部長は理解が早く、しかも我われの仕事の進め方について、偏りやモレがあることなどの指摘があってしばしば驚くことになりました。これは、部下であるすべての課長に共通する驚きでした。昼食などを一緒にするときには、部長からこれまでの経験を聞くことができました。全社的な改革と言ったことや会社を代表してマスコミの取材を受けるなど、様ざまな経験に基づいた鋭い観察眼の持ち主との強い印象を受けました。第一印象はとにかくとても仕事ができる人でしたが・・。

仕事ができると言えば、前任のD部長もとても優れた方でした。筆者は仕事の基本に類することをよく教えてもらいました。今でも忘れられないことがいくつもあります。例えば、提案書の題名でこんなことがありました。「題名が違うな」との指摘で、その場で修整しましたがその修整案もずれているようでした。最後にはD部長自ら「こんな雰囲気だね」と添削してもらいました。今になって筆者が感じることは、部下である課長のレベルに合わせた的確な対応だったということです。部下の管理職を叱責されることもまれにありましたが、嫌味は全く無く近くで聞いていてもっともなことだなと共感できるものばかりでした。前任のD部長はこういう人柄でしたから、彼が退職されてからも当時の部下たちで一席を設けるときは必ずD部長にもお声かけしていました。

しかしながら、新任の部長は、前任の部長とはかなり異なるタイプの方でした。退職後にお声をかけるような雰囲気は全くありませんでした。それはこの部長には独特の意地悪な発言や姿勢がしばしばあったからです。まさにこれが不人気の最大の原因だったと思います。