プロジェクトでカイゼン [Project de Kaizen] 第108回 番外編

番外編(14) 社会の様ざまな業務をラクにする

前回の番外編(13)では、わが国の多彩な教育システムについて述べました。例えば、わが国ではドイツのように10歳で将来の進路を確定するといった近視眼的な選別の仕組みはありません。わが国は教育に選別のような効率性を導入することはなく、個人の多彩な可能性を長期的に追求します。それは就職しても熱心な企業内教育が存在することにも現われています。制度として決まった節目の評価だけで早々に見切りをつけないということです。ひと言で代表するなら大器晩成を可能とする仕組みです。この観点から社内他部署業務の応援は単なる業務負荷の平準化ではなく、多能工化として企業内教育の一環として位置づけられることを述べました。
今回は、その延長上でモノづくりは実業であるという観点から社会の様ざまな業務をラクにすることについて述べます。

【1】社内業務の多能工化
ここでとり上げる多能工化は製造現場に限るのではなく、全ての業務での多能工化です。
前回も述べましたが、どのような業務であれ部外者が応援できる部分はあるものです。そのためには、かねてから業務負荷のピークに備えて他部署からの応援ができるようにする必要があります。例えば、業務を見える化していくつかの作業に分解しておくことがあります。専門的に高度なスキルが必要なため、その人でなければできないところもありますが、手伝ってもらえるところも必ずあります。業務の作業分解は、そのためのひとつのアプローチになります。

横浜市にある電気通信工事業A社を訪問したことがあります。およそ20年前のことですが、当時から社内の情報流通に最新鋭の機器を導入し、情報の見える化を徹底されていました。工事現場からでも携帯端末で社内のデータベースにアクセスできるとのことでした。それとは別に筆者が印象に残ったことが二つありました。ひとつは、毎年の会社創立記念日の行事は未経験の社員だけでプロジェクトを計画・実行すること。二つ目は経理部の業務などの専門知識の無い人も配属すること、この二つでした。いずれも業務手順がしっかり記録されている、つまり業務スキルがきちんと記録され伝承されているわけです。このため、極言すれば素人だけで仕事が回る、ということでした。多能工化という言葉は使われていませんでしたが、社内業務全般の多能工化の仕組みが実現していました。

【2】業務がラクになる・・進化の法則
ものごとの進化には法則性があるという考え方があります。例えば、業務(労働)はラクになる方向に進化します。70年前ごろまでクルマの運転はプロ(専門家)の業務でした。冬期のエンジン始動など特に難しくコツが必要でした。現在ではリモコンでエンジンをかけ、事前に車内を適温にしておくことすらできるようになりました。プロでなくても年齢条件さえ満たせば誰でも運転できます。運転スキルの巧拙は全く問われない時代は目前にあります。もうひとつ、国税庁サイトの納税システムは毎年進化しています。それに伴い確定申告の業務は毎年ラクになっています。税理士(専門家)の助けが必要な納税者は激減したのではないでしょうか。

二つの事例の背景にはクルマの進化や納税システムの進化があります。同時に、不要になる業界や職業も発生します。これは、いつの時代にもあることとして割り切らざるをえません。とはいえ、いつの時代にも必要とされるものがあります。それは、モノづくりです。

【3】モノづくりは実業の世界
ここでモノづくりとは、製造業に限らず広い範囲で考えます。つまり、有形の製品に限らず無形のサービス、例えばソフト開発なども含めます。また、法律の改廃などに左右されず普遍的な価値のある業界や職業を実業と呼ぶことにします。そうすると、モノづくりは間違いなく実業の世界です。

事例としてとりあげたクルマと納税システムの進化は、ドライバーと納税申告者の業務をたいへんラクにすることになりました。社会的に大きな貢献をしましたが、それらを実現した実業の世界は工夫と努力を重ねています。ゼロからモノをつくり出す実業は経済の根幹になります。法律の改廃などに左右されず存続できますが、消費者ニーズの動向には大いに左右されることになります。

ここで、実業の対極にある業界や職業を仮に虚業と呼ぶことにします。製造現場で運搬や移動は価値を生まないからミニマムにすべきと言われています。このような感覚で虚業はゼロにすべきという観点が役立ちます。企業の経理部門は国の税務の肩代わりをしていることもあり現実は過重な負担になっています。虚業の観点からは、全ての事務の業務は本来ゼロにすべきという考えが出てきます。

【4】実業の観点をもつ
ここで、社内他部署業務の応援が役立ちます。応援者としては多能工化が必要になりますが、同時に虚業に相当する部分は無いかという観点をもたせることができます。単なるムダ取りという観点を超えて、つまりカイゼンを超えた結果を出せることが期待できます。しかしながら、長期にわたり継続してきた業務を実業ではなく「廃止すべき虚業であるとの観点を持て」とは、なかなか言いにくいことのように思われます。

とくにベテランの役員や実務家に対しては経営トップであっても一大決心が必要かもしれません。このような場合、筆者は計画的でスジの通るアプローチをお薦めします。原材料の仕入れや販売先に「虚業的な傾向」は無いか(法規や慣習の変化で揺らぐリスクは無いか)、製品販売の構成は製品の現実的な利益を反映したものになっているか(経理で算出する原価はどのくらいの程度で稼ぐ力の指標になりえるか)等などは、実業と虚業という言葉を超えた合理性があります。

これらの取り組みにおいて、事例としての国税庁の納税システムなどでもわかるようにDX化は必然です。製品ごとの稼ぐ力の把握などもDXの発想と実践が欠かせません。従業員でこのような歴史の必然を理解できない方々を経営者はそのまま放置しておくことはできません。経営方針の不徹底ということだけでなく、経営者として不親切な行為であると思います。デジタル知識の欠落は、従業員の退職後の人生を危うくする一因になりかねないからです。三方良しの経営はこのような配慮を含む、と筆者は考えています。