前回の番外編(5)は、プロジェクトをうまくさばくについて述べました。プロジェクトはそもそも目的が明確であり限られた資源で指定された納期までに最終成果物をつくり上げることが求められます。リーダーとして誰がやるにしても、合理的な選択肢をうまくさばくことが中心になります。プロジェクトを進める途上で想定外の事態が起こったとしても、基本的に合理的な対応しかありえません。ゴールが明確であることが前提ですから、突拍子も無いことや奇策はありえないはずです。ところが、その場の空気と言うものがプロジェクトチームに混乱をもたらすことがあります。この番外編の主題としてとり上げてきた論理的思考は、その場の空気とはどういう関係にあるのでしょうか。今回は、職場に限らず社会のどこにも現われるその場の空気についてプロジェクトでどう対処するかを述べることにします。
【1】ウィル・スミスの平手打ち事件
先月27日の第94回アカデミー賞授賞式で主演男優賞を受賞したウィル・スミスの平手打ち事件が話題になっています。プレゼンター(司会者)が彼の妻を侮辱するジョークを飛ばしたので怒ったウィル・スミスが壇上の司会者に平手打ちをしたのです。主催者側は「いかなる形の暴力も認めない」とコメント、ロスアンゼルス市警は彼を逮捕する準備を進めていたそうです。米国は暴力に関しては我われ日本人の想像をはるかに超える厳しさがあるようです。従って、米国人の反応は暴力をふるったほうが悪い。しかし司会者も行き過ぎた発言だった、どちらも悪いことをしたということだったそうです。これは善悪や白黒をはっきりさせるじつにシンプルな判断と言えます。
わが国のネットでの反応は異なります。米国人が聞くと相当に驚くと思いますが、「ウィル・スミス、かっこいい」という好意的反響が少なからずあるのです。しかし、我われ日本人の多くは、「場をわきまえない行動」「別のやり方もあったのでは」ということではないでしょうか。つまり、「その場の空気を読んでほしかった」ということです。筆者はそのように思います。
【2】日本的解決策にはその場の空気を読むことが含まれる
米国式判断は、シンプルに善か悪か、または白か黒かのように見えます。わが国の判断は、もちろんそのような要素もありますが、その場の空気という要素が追加されることになります。
これま述べてきたように日米の経営方式にも大きな差異があります。
ボート経営はトップ(経営トップ)がプランAと言えば、その他のプランはありえません。おみこし経営は異なります。トップが発言せずともおみこしの担ぎ手(従業員)たちから様ざまなプランが提案されます。トップはそれぞれに耳を傾けます。意思決定はトップがおこなうとしても、極力、合意や納得を得ることを忘れません。微妙な問題を含む意思決定では、必ずしも損得などの合理性だけでは決めずに、その場の空気が大きな影響力をもつことがあります。「あのときは、その場の空気でやむをえずそう決めるしか無かった」という状況です。意思決定のみならず、問題解決にもその場の空気という要素が登場します。空気を学ぶ必要はあるのでしょうか。
【3】空気の研究はほどほどに
評論家山本七平(1921~1991年)の代表的な著作に「空気の研究」があります。論理よりも空気に意思決定が左右される日本の状況をとりあげています。論理的思考が重要ですと連載してきた筆者にとって「空気」は無視できない要素ではありますが、この本を読破しても(30年ほど前のことですが))必ずしも期待した答は無いと思いました。その場の空気に「水を差す」などのやり方も書かれています。ただ、そのことがまた別の空気をつくることになるのだそうです。なかなかややこしいのです。著者山本七平は確かに鋭い着眼点で日本に存在する「空気」という概念を紹介しました。しかし、どう対処すべきかについて筆者は読み取れませんでした。プロジェクトを学んでいる筆者としては、論理的思考力を高めることがその対処策であるという結論です。
【4】プロジェクトの場合は
本稿のトップで述べたように、プロジェクトは目的・資源・納期が明確な環境のもとで実行される究極の合理的な仕事の進め方です。空気の存在する余地はありません。そもそも「その場の空気」が論理で説明できないようでは、プロジェクトの依頼主に対しても説明できないことになります。これは「空気」の致命的な欠陥です。プロジェクト運営の基本は依頼主の意思が最優先されることです。そうは言ってもわが国の場合、依頼主は明確な意思表示が無いこともあります。しかし、そのたびに依頼主に確認することも現実的ではありません。そのような場合はプロジェクトのリーダーが自ら意思決定することになります。その場の空気を一切考慮しないやり方とは、例えばウィル・スミスのような直接的な行動も選択肢となりえると思われます。