新・虫の眼・魚の眼・鳥の眼 第17回

伝えることと伝わることの難しさ

● 知ったかぶりの曖昧な会話はケガの元になります
 海外に出て仕事をするには、その土地の言葉が話せることと聞き取ることがそして書けることの3つがとても重要です。しかし苦い経験から生半可に知っていて話せることは、事故の元になります。やはり専門家つまり通訳に任せた方がよいと思います。
 以前勤めていた会社でドイツの某規格を取るために、ドイツ語の規格書類を無謀にも自ら翻訳したのです。途中翻訳が難しく、地元でドイツ語のできる人に翻訳を依頼しました。でも文学系の人だったので、工業系の翻訳は逆に混乱してしまいました。
 結局辞書に載っていない単語もなんとか流れをつかみ、翻訳してしまったのです。その装置の設計から(製作は業者)設置まで行い、さらにその試験方法で試験して、試験内容も把握して試験に臨み、運も味方にしてその規格の認定を受けることができたのです。40年以上前になりますが、審査官の名前はまだ記憶しています。
 そのようなこともあり、ヨーロッパに行ってからも少しはドイツ語の勉強をしようと試みたこともありました。客先からの文章を翻訳してみましたが、2つの単語が複数重なって熟語になっていましたので、たぶんこうだろうと思って翻訳しました。
 ところがこの2つの意味不明の単語の翻訳が、全く逆の意味になってしまうものだったのです。これを添削した通訳が激怒し、何のために私たち通訳が要るのかと諭されました。知ったかぶりはダメだと謝罪し、今後一切翻訳はしないことを約束しました。
 通訳が日本語を翻訳していると、聞いたことのある単語や文章もちょっと理解できることがあります。それでこのように翻訳しているのかと、想像もすることもありました。それはちょっと変な訳ではないの?と疑う通訳もいました。同じことを同じ訪問先で話しても、通訳が変われば別な意味に捉えて翻訳して混乱することもありました。通訳の理解度と能力で、翻訳はまったく変わってきます。

● 通訳の人たちと一心同体になることが大切です
 伝えたいことが伝わらないことには、結果や成果がでないのです。そうでなければ、仕事は終わりになります。ヨーロッパのコンサルティングは、企業に年間契約で訪問しますが、途中に結果が出なければ即解約になることがあります。いわば一回一回が勝負になります。自分自身がわかっていても、伝えたいことをそのまま伝わればよいのですが、解釈の仕方で逆な意味にもなることもあります。
 通訳と一心同体になることは何を言おうとしているかを考えたうえで、伝えたいことが相手に伝わると仕事はうまくいくのです。そのために通訳と約束を守ることを、徹底しました。
 それは時間を守ること、訪問した企業での議事録と報告書を必ず提出して内容が間違いないかを確認してもらい、間違いがあればすぐにフィードバックして是正することでした。幸い出張報告書は、以前の会社でも義務のようになっていたので、書く手間は問題ありませんでした。
 日本語で話をするときには、主語が曖昧でも通じますが、ヨーロッパは誰が主語になるかで述語も動詞も変わるようです。ドイツ語に翻訳すると、大体日本語の1.5倍の長さになります。
 通訳のAさんは、翻訳すると、他の通訳の訳の時間が2倍から3倍になるのです。可笑しいと感じるようになり、訪問先にAさんの話の内容を別な通訳にどのようなものかと聞いてもらったら、別な話をしていたことが判明したのです。
 Aさんには厳しく諭し、担当から外してもらいました。コンサルタントがまったく言語がわからないことを良しとして、自分がコンサルタントになった気分で知っていることをベラベラと話をしていていたのです。このような特別な通訳はAさんだけでした。信用しすぎも問題です。良い通訳に巡り合うことは、出会いの奇跡のようなことです。

● 伝わったかは眼を見て判断し、時には体を使って伝えます
 このような失敗した苦い経験から、翻訳した言語を聞かないようにするようにし、次に話をする内容を考えることに専念するようにしました。でも通訳がトイレなど一時的にいない時に、工場の人たちが直接ドイツ語や英語で話しかけてくるときがあります。
 その時に話をしたら、「マツダは、これこれと言った」などと彼らの都合のよい解釈に取られてしまい、トラブルになったことがありました。それ以降は、「じゃぱにーず、おんりい」と答え、一切通訳抜きでは話をしないようにしました。このことは通訳にも説明し、通訳の不在の時は現地の人と話はしないことを徹底しました。
 すると20年も経ってもドイツ語の単語は、30くらいしか覚えていなく、聞き取りもできません。挨拶程度はできますが、文章は1つも話ができません。聞かないという習慣が聞き取れなくしてしまったのです。
 当然、ハンガリー語、チェコ語、イタリア語なども全く聞き取れず、挨拶と乾杯の単語だけ記憶するようにしています。通訳が本当で正しく翻訳して伝えているのかが言語を通してはまったくわからないので、どう伝わったかと判断するのに翻訳中に必ず相手の眼を見るようにしました。
 全体の7から8割以上が理解納得をした眼をしていれば、話を次に進めます。でもキョロキョロしたり眠そうにしていたら、一番後ろまで歩いてその人に質問したり、フリップチャートにマンガを描いたりクイズを出したりして、軌道修正していきます。眼は口ほどにものを言うのは、人種によってかわるものではありません。
 でも日常生活は、まったく問題ありません。同行する時はすべて通訳が翻訳してくれます。週末の買い物や散歩などは、「Das(これ)」といって指で1つ、2つとやればよく、レストランなどの勘定も電卓をたたく仕草で立派に通じます。あとは恥知らずのジェスチャーと度胸を駆使すればほとんど通じます。日本の最大級の謝罪の仕方として、床にひれ伏して土下座することも彼らに披露します。