明かりがない真っ暗な中を歩くことは、とても不安なものです。すり足で少しずつ歩くことしかできません。何が出てくるかも恐怖心が先になってしまい、ちょっとした物音でもドキッとしてしまいます。ですが少しでも明かりがあると、ゆっくりと歩くことができます。
携帯電話は懐中電灯や時計の代わりにもなり、しかもGPS機能もあるので今どこにいるのかも確認することもできます。自分がどの位置にいるかがわかれば、心が落ち着くものです。
心の中に眼があるとは、例え話の世界です。それは日常においても見えないものを見る眼のことで、正しいものを見る眼ともいえます。心理眼とかいて、「こころみ」という言葉もあります。これは江戸幕府時代に重用された人たちで、「こころみ」といわれ相手の心を読み取る特殊能力者のことです。
「こころみ」の彼らは、ちょっとしたしぐさや態度、さらに目の動きや視線から相手が何を考えているか、当てることができる能力を持っていたのです。江戸時代は戦がなくなった反面、目に見えない敵にいつやられないかと、幕府が不安になったことは容易に想像ができます。安定しているからこそ逆に安心ができなかったというわけで、あの手この手を使って対処したのでしょう。つまり、見ないものが怖かったのです。見えないものを見るのが、心の眼です。
この心の眼は、誰でももっている能力です。ただし、それを発揮する機会や意思がなければ、使うこともなく退化してしまう能力です。ものを見るという行為において、目的は何か?本質は何か?など明確な対象があれば、神経を集中して見ていけば見えるようになるものです。
単なる見るではなく、細かく観察するという気持ちで見ていくことで見えなかったことが見えるようになります。しかも誰もがもっている能力なので、磨き上げて人間関係の改善や問題解決にも応用したいものです。
図1. 自分を少し上から見る視線があれば、客観的な自分が見える
図2. 心の眼は呼吸方法で簡単に試すことができます