からくりカイゼン 第3回

簡易自働化とからくりカイゼンの関係 その3

 豊田佐吉が製作したG型自動織機は、名古屋市西区にありますトヨタ産業技術記念館に展示されています。糸が切れると、なぜ機械が停止するかの機構を間近に確認することができます。これに至るまで何度も作り直したことも容易に想像できます。

 約100年前に、佐吉はこの機構をよく考えたものだと感心せざるを得ません。しかも独学なので、佐吉の並々ならぬ執念がこの機構を創りだしたと思います。現在私たちは、からくりの機構も書籍や映像でも簡単に閲覧できます。ワイガヤ方式を職場に組込んで活用したいものです。まだまだカイゼンできることは無限にあります。

 この記念館は、織機に関する展示と自動車(旧車2000GTから水素エンジン車まで)からの展示の2つがあります。ぜひメモ帳を片手に朝一から1日掛けてご覧ください。機構をスケッチしましょう。各ポイントには説明員がおられますので、積極的に説明を伺いましょう。

 日本の織物の展示コーナーには、一番手前になんと地元鳥取県倉吉の倉吉絣、その隣に米子の弓浜絣がありました。また綿花から糸に紡いでいく過程も細かく紹介されています。なぜ佐吉が手組みの織機から、機械式の織機を作っていったのかがわかるような展示方法だと気づきました。

 自働織機を作るために、人間の作業を機械が取って代わるようにすることを必死で考え、考え抜いたプロセスが見えてきます。その機構が今に言えば、からくりと称するのでしょう。佐吉自身は、どうやれば良いかを試行錯誤しながら考えたと思います。それはスケッチをして考え抜いたことが伝記から伺えます。

 佐吉は苦しみもがきながら“自動機”を、人の知恵を組込んだ「自働化」に変身させました。機械に任せることは徹底して任せ、そして不良が発生すればすぐに機械を停止して、人に知らせると言う流れも考えたのは素晴らしいものです。

 江戸時代のからくりは、世の中が平穏になって何か娯楽的なことはできないかと考えられた経緯があります。現在の中京地区や飛騨高山地区でからくりを使った人形や山車に組込み庶民を楽しませていました。

 現在は、そのからくりの機構を活用して現場で困っている作業をカイゼンするツールになってきています。からくりの精神である身近なものを使い、お金を使わないで製作する、アイデアを考え具現化する、仲間と話し合う、などのプロセスが人財育成につながることを経営者も気づき始めたのです。

(次回に続きます)