脱力・カイゼントーク 第9回

先日、小学3年生の孫が私の家に遊びに来ました。彼は家に来るやいなや、タブレットを取り出して何かを始めました。てっきりゲームをしているのだと思ったので、何のゲームをしているのかと尋ねてみると、ゲームを作っているのだと教えてくれました。

「ゲームをしている」のではなく、「ゲームを作っている」と言われ、私は驚きました。タブレットの画面を覗くと、私が学生時代に英語でプログラムを書いたのとは全く異なり、アイコンを操作してゲームを作っていました。私が学生時代に頭を抱えていたプログラミングをわずか8歳の子供が楽々とやっていたのです。

子供は大人の後を追いかけるものと思っていた私は、60歳以上年下の孫の方が私よりも優れたスキルを持っていることにショックを受けました。私はこんなことは過去になかったことだと思い慌ててしまい、新しいことはすべて若い人たちに任せるか、それとも負けないように新しいことを勉強し始めるか、と極端な二者択一で考え始めました。

その時、かつて私が若かったころに父親は私のことをどう見ていたのかという考えが思い浮かびました。当時私はアメリカに行きたくて英語の勉強を始めていました。父は英語を話せませんでしたが、私の努力を応援してくれました。父もこれから先の未来を考えて私をサポートしたいと思ってくれたのだと思います。そのおかげで私は英語を身に付け、仕事で活用するチャンスを得ることができました。プログラミングと英語は異なる分野ですが、私が若いころにも同様なギャップは存在していたことに気づきました。

そこで、私にできることは、孫に後れを取ったことを嘆いたり焦ったりするのではなく、彼の能力が伸びるのをサポートし、それを生かせるチャンスを与えることだと考えました。彼らのレベルに達する必要はないかもしれませんが、少なくとも現代のテクノロジーを理解し、使い方を学び、基本的な知識を持つことは大切だと思い、孫にタブレットでゲームを作る方法を教えてもらいました。それで改めて彼の素晴らしさが分かり、信頼し任せることが大切ということを実感しました。孫との交流を通じて、私も父親と同じ考えを持てるようになりました。

会社でも、若い人の能力を認め、サポートし、彼らにチャンスを与えることが大切だと思います。チャンスを与えるということは、若い人たちの得意な能力を活かし、彼らが自分のアイデアを自由に発揮できる環境を作ることです。そのためには、私も彼らの世界を理解するために勉強する必要があると感じています。これからの私の勉強の目的には、彼らと同じスキルを身に付けるためということではなく、彼らの素晴らしさをより深く理解するためということが増えそうです。