脱力・カイゼントーク 第1回

これまでカイゼンについてテーマを絞ってお話しして参りましたが、少し硬い話が続いたので、少々肩の力を抜いてのカイゼントークをしてみたいと思います。1回目は、私がカイゼンという分野に身を置くようになった経緯をお話しさせてください。

私は1974年4月に日産自動車に入社しました。所属は横浜工場生産課査業班というところで、現場カイゼンをして生産性を向上させる仕事に就きました。作業班ではなく「業を査する」ということで査業班でした。「査業」の元は英語で“Work Measurement”であるとのことでした。

仕事の内容は、現場で作業をカイゼンして標準時間を短くすることでした。現場の職長にカイゼンを実行してもらい、生産性を上げ標準時間を短縮するということなのですが、私はこの仕事がとても苦手でした。職長は私の父親の年齢で怖い人が多く、私は自分が出したカイゼンのアイデアを実行してもらいたいと思い一生懸命説得するのですが、なかなかウンといってもらえませんでした。

先輩や同期の仲間たちが職長とタッグを組んで目標通りに生産性を向上させているのに、私は明らかにモタモタしており、非常につらい気持ちでおりました。学生時代は普通であったのに急に何もできなくなってしまったという感じで落ち込みました。そうこうして1年が経った頃に、上司から1年半のセールス出向に行くよう命じられました。

当時、セールス出向は工場の各部門から1名は必ず出なければいけないので誰かが選ばれるのですが、皆はなるべく自分に当たらない方がいいと願っている感じでした。そういう中で私が指名されたのですが、私は自分の仕事がうまく行っていなかったので、がっかりすることなく受け入れました。

実はこれは私にとっては本当に良いことでした。セールスの現場に出る前に仕事の基礎を学ぶ集合教育があったのですが、そこに登場した数人の講師の方々が共通におっしゃったことは、「自分の主張をしないでお客様に聞け!」ということでした。自分の売りたい車の長所とライバルの車の短所を上手に説明するのではなく、お客様が車を買うことで望んでおられることをとにかくよく聞くことだということを、全講師が強調されたのでした。私はそれを聞いて、すぐに工場で自分は相手の話を聞かず主張ばかりしていたことに気づきました。そこでこの出向期間中はそれをしっかり実践してみようと心に決めました。

教育が終わり、私は東京都港区にあった日産サニー新東京港支店に配属されました。今ではできないことですが、当時は大きなカバンに日産サニーのカタログを詰めて直接にインターホンを押して訪問販売をしていました。車での移動ではなくすべて徒歩で移動するので結構きつい仕事でしたが、お客さまと顔なじみになるにつれて仕事が楽しくなりました。この間自分からではなく、お客様にお話ししていただく会話を心掛け、かなりできるようになりました。その結果だと思いますが、まあまあの成績で無事1年半の出向期間を終え、横浜工場の元の職場に戻りました。

久しぶりに工場に戻り、以前にお世話になった製造現場での仕事を再開したのですが、驚いたことに、あれほど難しかった職長との折衝がスムーズにできるようになっていました。仕事ができるようになるといろいろと面白くなりカイゼンのアイデアも出て、現場の方々と一緒に助け合いながら仕事をできるようになりました。

このころから私はカイゼンという仕事に対してやりがいを感じるようになりました。皆で共通の目標を持って、アイデアを出し合い実行し、成果を分かち合うということに大きな喜びを感じたのです。

セールス出向を経験したことで、当時の私が気付いていなかった自分に欠けていたところが分かり、カイゼンすることができました。相手の言うことをよく聴いて気持ちを理解した上で会話をすることと、自分の言いたいことを正確に伝えるというコミュニケーションにおける基本的なことができるようになったのです。カイゼンは人と人が一緒になって助け合いながら進めるというコミュニケーションが求められる仕事です。私はカイゼンのコンサルタントという仕事に就けて本当に良かったと思っているのですが、この経験がなかったらカイゼンができずに会社を辞めていたかもしれませんし、ましてやコンサルタントになることもなかったと思います。

「人生万事塞翁が馬」は本当だな…と思います。私にはこの言葉にぴったりの出来事がこの後も続きます。昔の人は本当に良いことを言っています。