前回は、大きな改革においては信頼が大きなカギになったことを日産ゴーン改革の事例に基づき説明しました。ここでの信頼は二種ありました。改革における経営者と従業員の間の信頼、もうひとつは経営陣内部における信頼、この二つでした。今回は、とくに前者についてわが国は労使関係に限らず国全体が「信頼の社会」であることを述べていきます。
【1】ロシア企業の訪日セミナー
筆者は2015年から毎年、ロシアでのカイゼン講演に出張し講師を務めました。ご存じのようにロシアは米中に次ぐ軍事大国ですが、民間の産業基盤は脆弱で主な輸出商品は石油と天然ガスといった天然資源のみです。従って、自動車のような付加価値のある製品の国内産業育成は重要課題となっています。日産はサンクトペテルブルクに組立工場を保有し、部品メーカーとしてロシア企業の育成に取り組んでいるところでした。
2017年10月、ロシアの部品メーカー7社の方々(20名)が日産の招待で来日、工場見学などを含め日産に納入する部品メーカーとして必要なことを学ぶ1週間のセミナーが開催されました。筆者のロシア出張は、これまで5回で延べ20都市を訪問、その都度、現地企業訪問の機会がありました。改善活動の状況なども見学し、ある程度の事情は把握していました。そこで、日本における自動車メーカーと部品メーカーの関係などを説明することになりました。日産としては「部品メーカーとしての心構えやあるべき姿」を知ってもらいたいとの趣旨と理解しました。
【2】ケイレツ企業という契約は無い
ロシアカイゼンセミナーの主催者である日本センター(外務省の支援する現地NPO法人)の事前説明によると、ロシアでは従業員と経営者の関係は基本的に敵対的であるとのことでした。確かに安全や保健衛生といった配慮は基本的にかなり弱く、経営者のカイゼン活動への関心は生産性向上のみといった感じを受けました。
訪日セミナーの受講者は、基本的に経営者サイドの方々でした。まず、部品メーカーとして日本独自の形態である「ケイレツ」について説明しました。日産側の懸念として、現地企業には「利益は自動車メーカーが吸い上げて、部品メーカーは収奪されるだけ」という警戒感があるようだとのことでした。部品メーカーに比べれば、自動車メーカーの企業規模は巨大ですから、現地の常識からすれば、もっともな感覚と思いました。そのような誤解を解くために次のようなことを率直に説明しました。
①基本的に、ケイレツ(部品メーカー)に認定するという契約や保証は無い
②しかし、事実として自動車メーカーの成長と同時にケイレツも成長してきた
③カイゼンの基本は「三方良し」、利益を独占せずさまざまに還元すること
とくに三方良しについて、日本社会は信頼を基本としている社会であることを説明しました。
しかし、これは全く理解されなかったようです。カイゼン活動に関する質問は具体的で活発でしたが、筆者が訴求したかった三方良しについては、全く質問がありませんでした。ロシアの常識からかけ離れていたからでしょう。逆に筆者自身が、このセミナー体験によってわが国はいかに信頼で成り立っている社会であるかを改めて強く認識することになりました。
【3】わが国は契約の無い社会
そもそも日本社会には明文化された契約は無いことをしばしば見受けます。例えば、終身雇用制度がそうです。この制度も後退しつつある状況を感じますが、入社するときそのような契約を結ぶこと無く制度は存続してきました。逆に、派遣社員など比較的新しい制度については、契約を結ぶことがしっかり定着しています。
江戸時代に生まれた「富山の置き薬」というビジネスがあります。一般家庭に常備薬をセットした薬箱を置いていく。その後、年に1回か2回その家庭を訪問し、使ったクスリを補充し使った分だけその代金を回収する仕組みです。最初に薬箱を置くときにその対価は求めず、相互の信頼だけで成り立つビジネスです。薬局などは無かった時代ですから、ニーズにマッチしたビジネスとして拡大したと伝えられています。これも契約は無くても信頼がある社会が背景として定着していたからでしょう。
わが国が海外とのビジネスに弱い、とくに契約関係で弱いとよく指摘されます。これまで述べたことから、契約は不要な信頼社会だからでしょう。さまざまな環境条件から、相互の信頼の無い社会では、それに代わるものとして契約がある。その契約をお互いが守ることによって、相互の信頼を築くことになる。そういう関係性があります。契約があるのにそれすら守らないとすれば、企業間であれ国と国との関係であれ、信頼関係を築くことは不可能であることは明白です。
【4】戦時のボート経営を円滑にするもの
前回、おみこし経営においても戦時にはボート経営が必須であることを述べました。戦時には通常とは異なり、さまざまな異論・反論をしっかり討議する余裕は無いかもしれません。リーダー(経営者)の指示をそのまま実行することも多くなるかもしれません。そのとき、おみこし経営のやり方でかねてから築いてきた信頼や信頼感がものを言うことになります。
また、戦時であってもかねてと同様に異論・反論について討議を尽くすこともできるようになるはずです。次回はそのやり方などを述べることにします。