プロジェクトでカイゼン [Project de Kaizen] 第29回

創業者の夢が現場の活力を生み出す

前回は、わが国独自の強みとして現場の活力をとり上げました。日本企業では新しい商品やサービスが現場から出てくることが珍しくありません。その要因としてまず教育がありました。わが国は歴史的にみてもすべての国民に対して教育の機会がありました。また企業組織においても、仕事をしながら教育・訓練をもとに成長を目指すという考えは現在でも確実に存在しています。経営陣も従業員も、教育・訓練を疎かにしている企業はありません。これらが現場の活力のもとになっていることを説明しました。今回は、経営者の夢を実現することが現場の活力を生み出す事例を述べることにします。

【1】ホンダ創業者の夢とは
筆者は青山(港区)にあるホンダの本社ショウルームをしばしば待ち合わせに使っていました。広々として雰囲気が良いのです。米国でホンダジェットを発表したころはプロモーションビデオが大画面に映し出されていました。米国の発表会場で注文したばかりの人が言うには「最初に買ったバイクはホンダだった(きっと、ハイティーンのときだったのでしょうね)。いま初めて買う自家用ジェット機もホンダだよ」。この人は、夫婦で発表会場に出かけてきたようでした。このようなホンダ愛好者の感動的な場面と先進技術の紹介を合わせたビデオはなかなか面白く、見るたびに楽しむことができました。ホンダジェットは現在もプライベートジェットの市場で好調な売れ行きを続けているようです。

本田宗一郎氏が浜松市の小さな町工場で創業した当時は、自転車用補助エンジンの製造から開始したことは良く知られています。ホンダが自動車業界での地位を確保した後、航空機への参入を宣言したのは1962年でした。そして2015年、日本の空を初飛行したとき「半世紀以上の時間を経て創業者の夢を実現」と話題になりました。初飛行は創業者の逝去から24年後、引き継ぐ人たちが創業者の夢を見事に実現したわけです。筆者としては、これも現場の活力があったからこそと考えます。

【2】先進技術で夢を実現
自動車メーカーが航空機業界に参入するのですから、大きなチャレンジであることは間違いありませんし、失敗するリスクも避けられません。ホンダジェットは従来の常識を覆す技術的革新が盛り込まれていました。例えば、機体は主翼上面にエンジンがついている珍しいかたちでした。また、エンジンはトップメーカーであるGEとの共同開発とはいえ自前でつくりあげています。この方面に詳しい方によると「機体の開発メーカーがエンジンを自作するのは最近ではきわめて異例」とのことです。ホンダは1970年に当時世界一厳しい排ガス規制である米国マスキー法を最初にクリアしました。これでもわかるように技術的革新はお家芸のひとつでした。ホンダジェットの技術的革新はホンダの技術者集団がこぞって協力した結果なのでしょう。創業者の夢は半世紀経ってから実現しました。「新しい商品やサービスが現場から出てくる日本」ならではの成果と言えます。

【3】三菱スペースジェット(MRJ)の残念な現状・・開発凍結
戦後初めての国産旅客機YS-11に続いて、国産の三菱スペースジェット(MRJ)の開発凍結が発表されました。
産業界のみならず、わが国全体にとってじつに残念なことです。凍結の理由である、コロナ禍において将来の需要が消えてしまった感覚は当事者ではない筆者にもよく理解できます。

しかし、MRJのこの現状について筆者はホンダジェットとの決定的な違いを感じます。
それは背景にある技術的な情熱とつくり出すものに対する熱意の差異です。本連載では「現場の活力」を主題にしています。「創業者の夢」が現場の活力を生み出すことを述べましたが、これがなくても代わりのものでも現場の活力は生み出せます。MRJは、その観点から国産初のジェット旅客機として産業界のみならず「国民的期待」があったはずです。期待を超えて「悲願」と言える状況もありました。活力喪失の一因として、たびたびの開発遅延が考えられます。米国の航空機安全規格に対する理解不足とそれに伴う設計不良での開発遅延がありました。これなどは信じられない失態でした。全体を通して、他人事といった感じがします。現状では「現場の活力を生み出す」組織ではないように見えます。そういう組織でないなら、欧米式のトップリーダーが強力に牽引する組織形態もあるはずですが、そうでもないようです。
国民のひとりとして、いったん凍結した開発プロジェクトが解凍され国民的期待を叶える再開を心から期待しています。