新・虫の眼・魚の眼・鳥の眼 第1回

日本と欧州を見比べてみましょう

● 欧州への渡航は18年間で180回以上
 2000年に脱サラした時に、まさか海外それも欧州にコンサルタントとして、毎月のように訪問するとは夢にも思いませんでした。鳥取から東京、そして成田経由でドイツに毎月通勤(事実上は、時差との闘いがあり痛勤という当て字がぴったりです)することになり、移動の辛さはあります。でもそれ以上に、余り経験できないことを体験させてもらいました。そして移動の時間と空間は、自分の世界に浸ることのできるまさに小さな書斎となったのです。近年は、情報化に伴い携帯電話やインターネットの整備が整っていますが、当時は完全に個室状態でした。
 今ではタブレットやスマホで誰もが使っていますが、成田空港のラウンジや飛行機の中でラップトップのパソコンを広げていると、当時は大変珍しかったので皆さんがのぞき込んでこられました。信じられないでしょうが、2000年当時はそれが事実でした。
 でもこの隔離された移動時の状態は、自分の世界に没頭することができます。日本と欧州の別々な出来事を、整理したり咀嚼したり空想したりする熟成期間にも使うことができたのです。1万kmも離れていると風土や文化も全く違うので、その移動時間に双方を消化するにはちょうど良い時間となったのです。
 国内の移動、海外への移動、さらに海外での移動を合計すると、地球を120回以上も回ったことになります。飛行機、鉄道、車、船も使いましたが、一番落ち着いてくクールダウンできるのは、やはり飛行機の中です。会話が少しCAとあるくらいで、途中下車もなく電話もありませんので、ちょっと狭いですが即席の書斎になります。
 ドイツのフランクフルトまでは、片道12時間です。帰りは偏西風が追い風となり、1時間短縮されます。色々と時差調整を試みましたが、結局飛行機の中では寝ない方が調整しやすいことがわかり、起きている時はもっぱらセミナーや講義の予習復習と映画鑑賞(年間50から90本)に費やしていました。

● 訪問した国は、10カ国以上、企業は65社、210工場
 ドイツが拠点となったのは、欧州の中心に位置しかつ最も工業が発達しており、改善のニーズがあり、彼らの改善の意欲も強くあったからです。ドイツを中心にフランス、スイス、オーストリア、ハンガリー、チェコ、ポーランド、イタリア、イギリス、ギリシャ、オランダ、ベルギーにも行きました。経験として、ドイツ、スイス、ハンガリーが改善に熱心ですが、私の性格や相性と合うとか合わないも大きく左右していると感じました。
 2000年当時、EU加盟国は13カ国でした。スイス、ハンガリーなどは入国審査や換金も大変でしたが、今はどの国でもすんなりと入出国できるので便利です。たくさんの国を回って気づいたのは、当たり前ですがイギリスを除いてすべて陸続きであることです。しかもそれぞれの国の言語が違うだけでなく、考え方や顔や性格そして風習や食べるものも違うのです。なぜ陸続きなのに国境があるのかが、欧州の各国を回っていると意味が分かってきました。過去に戦争が、頻繁に勃発していたことも理解できるようになりました。
 現在でもフランスのアルザス地方の人は、過去にドイツ領であったり、フランス領であったりしたためにストレートでものを言いません。少し奥歯にものが挟まったような感じで話をします。ストレートにものをいうと、問題が起きることを肌で感じているからでしょう。普通はドイツ語で話をしてくれますが、彼ら同士だとフランス語でもない方言のきついアルザス語を使って会話をします。本音をいわないのは日本では京都が有名ですが、これは昔から度重なる戦があったからといわれていますがアルザス地方も同じです。スイスは、谷が違えば方言がまるで違うので、隣同士が外国だと地元の人も言っているくらいです。
 直接各企業の工場の現場で、多くの人と交流が持てたことは、とても貴重な体験と財産です。日本の企業では、めったにトップが現場にできることはありませんが、欧州は違います。ほとんどオーナーや社長、工場長などトップマネージャーが、現場に出てきます。そして、現場のオペレータと話す機会が多く見られます。日本の企業とは、トップマネージャーの姿勢も行動も違うことを感じます。でも逆に現場に出てこないのは技術者です。

● 国内から見てみる、海外から見てみる、双方向の眼
 欧州の人たちは自国を愛する人が多く転勤はしたくない、そしてこの土地にずっと住み続けたいという保守的な考えが強くあります。欧州の人たちは自分の国から国外に出たくないので、何とか生産性を向上し生き残れるようにしたいという欲求から、日本のコンサルタントを呼んだというのです。バカンスは別でとにかく国外に出かけます。
 彼らにとっては、本当は日本人から学ぶというのは恥だったようでした。これは彼らの強いプライドがあったのですが、日本の改善を学びたい一心で恥を忍んだというのです。特にオーナー企業のトップは、切実な想いだったのです。
 もう一つの理由として、口コミ情報のお蔭でした。コンサルタントは、売るモノがないので本当に人気商売と同じです。コンサルタント会社に入った時に、大切なのは知識以上にキャラクターだと教えてもらいました。自分のキャラクターを活かす方法を考え実践してきました。その評判が少しずつ広がりクライアントに恵まれました。
 日本の陸の孤島といわれる鳥取から欧州に行ったり来たりしていることから、両方の事情が読み取れるようになったのです。どちらかに長くいると見えなくなるものですが、頻繁に往来をしていると、双方の眼で見ることができるようになります。という訳で虫の眼・魚の眼・鳥の眼をさらに広げて、日本と欧州と比較するグローバルな眼も加えながら物事をご紹介していきますので、どうぞお付き合いください。