虫の眼・魚の眼・鳥の眼 第22回:ラジオ体操第二が音楽なしでできますか?(その1)

音楽と体操が自然な動きになるように修正されていた

 多くの工場では、職場に来てまず行うのがラジオ体操です。そのあとに朝礼やシフト交替のミーティングなどがあり、引き継業務そして仕事が始まります。このラジオ体操をしている時は、社員の顔色や雰囲気などを確認する絶好の機会になります。
 ラジオ体操は1928年に当時の国民簡易保険局が、国民の健康増進を狙って制定された経緯がありました。しかし当初は馴染がない上に、音楽と体操も流れがマッチしていなかったようで不評だったそうです。当時音楽は音楽、体操は体操という見えない壁があったようで、両方を合わせて体操しても違和感があったといいます。
 そこで仲を取り持つ人が現れて、両者を土俵に上がらせて一体化の取り組みをしたというのです。何度も意見交換をして、音楽が対応の動きを自然に導き出すように仕上げたというのです。しかも音楽が体操の動きと自然に導かれることを意識して、何度か作り直された経緯がありました。因みにラジオ体操第一の音楽の作曲は、あの有名な服部正氏でした。組織の仲人役もされたのですね、凄い!
 企業の意思疎通の不味さが、問題になっている間接部門と直接部門の取り組みの実態とよく似ています。お互いを主張し合っていては、なかなか問題解決にはなりません。まずお互いのことじっくり聴き合うことです。その点に関してもよい事例だったと思います。現行のものは、最終的に1951年に制定されたもので、約70年の歴史があります。因みに第二の音楽は、これまた有名な作曲家であり、「パイプのけむり」でお馴染みの團伊玖磨氏です。鳥取県の県歌「わきあがる力」も作曲されています。
 体操の実質の考案者は、1936年のベルリン五輪に出場した遠山喜一郎氏です。遠山氏がこのラジオ体操第一のコツについて、最初の動作で両手を挙げて伸びをしますが、一瞬止めて「間」を取ることが記述されていました。この「間」は、音楽の「休符」や落語の「間」とも通じるものがあると気づきました。今まで何気なく両手を連続的に回していましたが、この記述を見てから一つひとつの動作を意識して、伸ばす、屈伸する、呼吸を止めないなど、チェックしながら行うことができるようになりました。
 このラジオ体操の発祥地が、東京のJR秋葉原駅から神田に向かって徒歩10分のところにある佐久間公園です。仕事の関係で何度も通っていましたが、後になって知ることになりました。知らないと分からないものですし、関心がなくては調べることもありませんが、興味を持つとか疑問を持つと、俄然意識が目覚めてきます。最初はこの近くの警察官の掛け声から始まり、「早朝ラジオ体操」に全国に広がったといいます。最近身近なお巡りさんを見かけなくなったことは、少し残念な気がします。

図1. ラジオ体操第二は音楽がないと最後までやるには難しい
図2. 3という単位の壁を乗り越えれば習慣化できる