5月のご挨拶

 5月になりました。コロナウィルスは相変わらず猛威を振るっていますが、わが国のワクチン接種率は欧米と比べれば大きく出遅れています。いろいろと複雑な背景があるようですが、原因のひとつには日本のデジタル化の遅れがあり、デジタルネイティブの「若い人たちの能力の活用」が急務であるといわれるようになりました。

しかしこの「若い人たちの能力の活用」は決して簡単なことではないと思います。私自身、仕事でデジタル化を進める必要があり、若い人たちからデジタル化の指導を受けてきましたが、知らないことや理解できないことが多く、はじめは大いに戸惑った経験からの本音です。

私の経験をお話しします。私は今回のコロナ騒動で日本カイゼンプロジェクトの進め方を、ウェブを活用したものへと変えていくことにしました。加えてYouTubeチャンネルも始めることにしました。しかし私は典型的なアナログ世代の人間で、若い人の力を借りなければ自分一人ではほとんど何もできません。そこで若い人にサポートをお願いすることにしました。外部に報酬を払ってデジタル作業を頼むという選択肢もありましたが、コロナで仕事が激減した際に「チャレンジする」と決心した以上、簡単に投げ出すわけにも行きませんでした。これは私自身の挑戦であり戦いであった…と少し大げさに言ってみましたが、そこから私の若い人たちからデジタルを学ぶチャレンジが始まりました。

私をサポートしてくれる若い人たちは、年長者である私に対して精いっぱいの敬意を払って親切に教えてくれました。しかし私のデジタルへの理解が追い付かず、メモを取っていても、知識不足状態でのメモなので次の機会に再現できずに再びサポートをお願いすることがよくありました。スマホやゲームを直感で自在に使いこなしている彼らと、何をするにもトリセツを読まないと怖くて前に進めない私との間のデジタル能力のギャップは大きく、彼らの説明がどうしても理解できないことがしばしばありました。彼らの顔には「どうして分からないのかな?このおじさんは…。」と書いてあるようで、私は落ち込みました。そして「もう少し分かりやすい教え方はできないのか!」といった責任転嫁の気持ちを持った時もありました。

極論ですが、私のような日本人の年長者はこれまで若い人にモノを教わる必要がほとんどなかったように思えます。私も教える一方で、教わった記憶はあまりありません。私だけかもしれませんが、日本の年長者には一般的に自分たちは若者より上だという気持ちがあり、若い人に物事を教わることが苦手なのではないかと思います。そこで年長者はちょっとでも分からないと若い人の説明が下手だと怒ってしまい、あきれた若者は教えることを止めてしまいます。しかし年長者は頑張って若い人の言うことに耳を傾け、恐れずデジタルに触ってみることです。すると少しずつ分かるようになります。不思議ですが本当です。

私も何とか若い人たちと会話ができるようになりました。これまではほとんどかみ合わなかったものがかみ合い始め、はじめて一緒に仕事ができるようになってきたのです。

アメリカには仕事上の年功序列がなく、その上、リバースメンタリングという年長者が年下の部下から最新の世の中のことを教わる仕組みまでできていて、構造的に多様性とか全体最適の議論ができるようになっています。長い歴史の中で、デジタル化が進みやすい構造になっているのだと思います。一方で日本はその対極にあるといっていいでしょう。この問題解決は簡単ではないと考えています。

デジタル化は日本の課題であり、経営者の課題です。若い人たちの潜在能力をどう引き出すか、この際みんなで考えてみませんか。


日本カイゼンプロジェクト
会長 柿内幸夫