プロジェクトでカイゼン [Project de Kaizen] 第97回 番外編

番外編(3) 文書記録の蓄積が論理的思考を高める

前回は番外編(2)として、全体観をもつことの意味と価値を述べました。全体観はマネジメントスキルのひとつとして既に紹介されています。カッツが提唱した三つのスキルのうちコンセプチュアルスキルがそれですが、わが国ではさほど普及していないように感じています。また、論理的思考を全体観からサポートするものとしてボトルネックがありました。これはわが国では企業経営のみならず、社会的にも広く普及しています。日本のいわゆる民度の高さがこのようなところにも現われています。「問題か症状か」を紹介しました。これは、ボトルネックの親戚すじの考え方になります。ここで症状に置き換わるべき語彙が無いのが残念ですが、「いくつかの症状から根本原因を特定する」という論理的な思考が広まることを期待しています。
今回は、前回の末尾で紹介した文書記録の重要性の続き、その本編となります。

【1】文書記録の重要性
前回、わが国は欧米に比べて文書による記録をおろそかにする悪習が際立っていると述べました。公文書をかんたんに破棄あるいは改ざんする、また民間企業でも品質不正や検査報告書の不正が報道されています。これらは、公的組織や民間企業いずれも氷山の一角と筆者は考えています。ここで、前回(第96回)述べたことを補足しておきます。

・口頭ではなく文書で伝える
社会的に成熟した江戸時代であれば「武士に二言は無い」といった規範もある環境では通用したかもしれません。現代では世界的にテレワークが進展しています。サポートするためのDX(デジタル化による圧倒的な生産性の向上)も普及しつつあります。

・会議録や業務の成果物などをすべて文書で残す
業務の成果物をすべて組織の共有財産にすることがDXのおかげで容易になりました。ノウハウの伝承、職場での教育などをすべて文書で残すことが求められます。

【2】米国政府の公文書の記録と公開
そもそもわが国政府は文書による記録の取り扱いがぞんざいなことが多く見受けられます。公文書の改ざんや破棄など意図してやったものの他に、年金の記録と保管がお粗末で消えた年金と騒がれたこともありました。

米国政府ではどうなっているかを調べてみました。外交文書の場合、記録作成から30年以内に機密指定を解除されて国務省に移管・公開されるそうです。少なくとも30年で国民に公開されるということです。このあたりの事情は、わが国も米国のやり方を見習うべき点が多くありそうです。

【3】業務報告が定着していた戦国時代のバテレンたち
16世紀からわが国に渡来してキリスト教を布教したカトリック宣教師のことをバテレンと呼んでいました。彼らはスペインやポルトガルからそれぞれ任務を負って日本で活動しました。その克明な報告書のひとつが、例えばルイス・フロイスの「日本史」です。当時は木造帆船による航海ですから、本国に書簡を届けるにも1年以上を要したそうです。当時のものが本国には現存していて次々に様ざまな新事実が解明されています。同時代にわが国も記録はあるわけですが、その質と量に圧倒的な差があります。

質の差とは、業務報告書か日記などの風聞録かということです。業務報告書は時系列に追っていくと、上司(本国にいる監督者たち)がその矛盾をチェックできます。これではいいかげんな対応はできません。前述したフロイスは、本国から任務以外の記述が多過ぎる、もっと本業のことを説明せよと叱責されていたそうです。日記などの場合、ただ感想や推論を書けばよいわけです。
量の差とは、スペインやポルトガルなどカトリックの国々と敵対するオランダやイギリスなどプロテスタントの国々があることも起因します。ひとつの事件があれば、それぞれが本国に報告します。異なるいくつかの見解が記録された資料をさらに増やすことになります。

【4】小説からもわかる筋道だった論理展開
バテレンたちと同世代の有名人としてウイリアム・アダムス(三浦按針)がいます。ご存じのように彼はオランダ船リーフデ号で豊後の国(大分県臼杵市)に漂着したイギリス人航海士です。三浦按針に関する書籍としてイギリス人作家が執筆した「さむらいウイリアム」を読みました(ジャイルズ・ミルトン著 築地誠子訳 2005年 原書房)。400ページ近い大部なものですが、膨大な資料に基づきながら飽きさせず、まるで推理小説を読むような感じがしました。筆者がこれまでもっていた常識をくつがえされたり、新たな視点からの説得力ある見解を見つけることができました。この本の背景にある論理的思考は、わが国には無いと思いました。

例えば、「引用と参考文献」がプロローグから第13章まで20ページにわたって書いてあります。
補足や様ざまな資料からどう判断したかなどの経緯が書かれています。まるで開発報告書のような感じがしました。本文では、引用部分の識別がスマートで気にならない、これは作家の腕によるものでしょう。いずれにせよ、膨大な歴史資料があり、それを駆使する論理的思考の成果物という作品でした。

【5】文書記録の蓄積が欠かせない
論理的思考を高めるためには文書記録の蓄積が欠かせない、筆者はこれが最大の課題と考えます。口頭ではつじつまが合わないこともそのまま通じることが多くあります。聞き返しができない場合は修正できません。文書なら、受け取ったほうで腑に落ちなければ再読できます。誤りや矛盾を本人も含め関係者で指摘できます。文書にしておけば、仕事の進め方の伝承、新人の育成などに取り組むきっかけにもなります。

テレワークの進展は、文書記録蓄積のためのまたとないチャンスです。
設計や営業などホワイトカラーの職場は最適です。製造の現場があるからといってテレワークを避けるのはせっかくのチャンスを逃すことになります。事業所(拠点)がひとつしかなくてもオンラインミーティングはできます。製造の現場を含めてのオンラインミーティングから始めましょう。

テレワークの進展は時代の潮流です。
全ての企業で手遅れにならないうちに着手する必要があります。働き手が減少するわが国ではこれまでよりも高いレベルで生産性向上をはかる必要があります。これまでの経験と実績は貴重な財産ですが、その延長だけの取り組みでは限界があります。論理的思考を高めるために、テレワークに伴う文書記録の蓄積から始める、合理的な選択です。