前回の番外編(16)では、開発設計の現場という限られた職場が起こした不正行為、経営トップとしては寝耳に水の致命的な大災害を扱いました。開発設計は、生産とともに製造業という実業の核となる機能ですが、そこにも悪行の芽が潜んでいた。その芽はトップの意識しない現場へのプレッシャーだったと説明しました。
今回は、このような悪行の芽が潜まないような条件は何か、経営と現場、相互の信頼感などから風通しの良い職場の条件について考えることにします。
【1】キャッシュレジスター紹介の仕方 日米の差異
商品を販売するお店なら現在どこでも必ず設置してある機械ですが、これは19世紀末米国のNCR社で金銭登録機として商品化されました。この新商品の紹介の仕方に日米に面白い差異があったそうです。米国での紹介は「従業員を正直にする機械です」、印刷されたものが証拠として残りますからごまかしはできないということを前面に出しています。これを日本で売り込むときは「誰にでもミスはあります。記録があるとチェックするとき便利です」、米国のようにそのものズバリの紹介ではなかったようです。こういう紹介であればわが国の現場に導入するとき「私たちを信用できないのですか」などという苦情は無くすことができます。わが国では労使双方が円満に納得して導入できたことでしょう。
日米で表現の差異はありますが、現金を扱う業務についていかに信頼性を確保するかというこの機械の目的は共通しています。担当者は志操堅固の人ばかりとは限りませんし、誰でも気の緩むときはあります。この機械は、万一そのような場合でも悪行に陥らないよう助ける役割を果たすことができます。このような業務について、この機械は従業員のためのセーフティネットの役割も果たしています。
【2】自動販売機の商品補充 わが国と欧米の差異
前項では、キャッシュレジスターという機械がよくできていることを説明しました。これを導入すれば、従業員の信頼度は日米で表面上は差が無いことになります。しかし、別の業務を見るとかなりの差があることがわかります。例えば、清涼飲料水の自動販売機(自販機)です。清涼飲料水だけに限っても全国で240万台設置されているそうです(2018年末)。自販機ビジネスには商品補充、空き容器回収と現金回収が定期的に必要になります。わが国ではトラックの運転も兼ねて、全てをひとりでやっています。欧米では必ずしもそうではないと聞いたことがあります。現金回収のみは独立して別の人がやる、つまり現金を扱う仕事はそれなりの人でなければ任せられない。日本人なら、そうだろうなあ~と理解できるコメントですね。
【3】不意打ちでやる 銀行の内部監査
大手都銀に勤務していたOBから聞いた支店勤務当時のことです。終業後、上司からいきなり「明日は休め」と指示があった。翌日、本人不在のところで本社から専門の担当者がやってきて、本人のデスクから帳簿などすべてについて調べ上げるのだそうです。社内の専門家がチェックすると不正があるとそれなりの証拠はわかるらしく、この内部監査システムは全社的に徹底していたそうです。他社で社員不正のニュースを知るたびに「当社では皆無だな」と思ったとのことでした。
これは銀行というビジネスの特性上、性悪説の立場からのチェックが社会的にも認められる事例と言えます。製造業を含め、どの企業でもそのまま実施できるわけではありません。むしろ、現在ではISOなどの監査が普及しています。そのための社内の従業員自身が他部門の業務監査をおこなうやり方などを有効に活用することができます。つまり、社員による内部監査です。他部門からのチェックや指摘は、自部門だけでは気がつかないことを浮かび上がらせることができます。
【4】災いのもとになる 日本人の一般的な傾向
とはいえ、特定部門の少数グループによるデータ不正などは内部監査だけではチェックしきれるものではありません。意図的なデータ不正などは突発的に起こるものではなく、必ず予兆や環境条件があるはずです。前回とり上げた大手自動車企業の場合、開発設計の現場に与えられた課題が能力の限界を超えたものだったと説明されました。我われ日本人の一般的な傾向として「この仕事は納期に間に合いません」、「組織の能力を超えています」などは素直に発言できないのです。だから、経営トップを含めて部門外からは実態が不明なまま順調に進捗するという誤解がどんどん拡大していくことになります。
これに対する切り札のような対策は思いつきません。しかし、経営トップがつねに「聞きたいのは悪い情報だけ」という姿勢は、まず欠かせないことでしょう。もちろん、悪い情報の対処策として社内の資源をどう引き当てるか、その権限をタイムリーに行使することが次の段階で求められます。悪い情報が当事者たちだけに留まっている限り、災いのもとは解消しません。わざわざ述べるまでも無い明らかなことです。
【5】技術者の倫理
筆者は、工学部の学生たちに向けた「技術者の倫理」講座において6年間講師を務めました。講義ではつねにトラブルの実例を説明し、次に似た状況で「あなたが責任者だったらどうするか」というチーム討議をやってもらいました。討議結果を提出してもらうと同時に発表もしてもらいました。技術者の卵である学生たちは「あなたが責任者だったら」というところで毎回熱心な討議になりました。
企業内で言えば、経営トップや部門長が出席する場をこのような目的で活用することができます。製造業であれば、社内発生のトラブルや市場に流出したクレームは様ざまに存在します。技術者倫理の教科書などは不要です。そのようなトラブルやクレーム対策の機会をいかに自由な発言ができる場にするか、このような場で技術者の倫理をいかに育てていくか、これらがカギになります。OJTにより技術者の倫理を一歩ずつ育て上げる。風通しの良い職場の条件のひとつとして、ぜひ実践してもらいたいと願っています。