有名な作家は未だに原稿用紙に向かって、鉛筆やサインペン、さらに万年筆という筆記用具でコツコツと書いているようです。多くの作家はそんなことはやはりパソコンに向かっての入力作業になっています。ですから“文章を書く”という作業ではなく、パソコンで“文章を入力する”という作業形態になっています。
文章を入力するのに、パソコンの漢字変換機能が付いているので、楽々と漢字を入力作業ができます。時にはビックリするような漢字が変換されることもあるので、それを楽しむこともできます。その素晴らしい変換機能についつい甘えてしまい、段々と漢字が書けなくなっています。昔はきちんとしかも楽々書けたのに、いくら考えてもその漢字が思い出せなくなっております。漢字の変換機能が非常に便利になり過ぎたので、漢字そのものを考えなくなってしまうようになっています。歳のせいもあるかもしれませんが、「漢字が書ける」という機能が完全に低下してしまったようです。
著者は陸の孤島といわれる鳥取県に在住しています。仕事となるといったん鳥取から東京を経由してから、国内や海外の各地に移動するようにしています。しかし東京に着いてから地下鉄の移動があると、非常に苦労をする羽目になります。田舎から出てくるので、人ごみの中をくぐる抜けること自体で疲れてしまい、頭も混乱してしまいます。そして地下鉄の駅の出口がいつくもあると、一つ間違っただけでもまったく別な景観が現れるともうギブアップです。事前に地図を準備しますが、それでも角を曲がったり、大きな建物があると先が見えなくなり、実際の現場と簡略し過ぎた地図もあります。その時には、辛くても飛び切りの笑顔で人に道を訊ねることにしています。ほとんどの人が丁寧にお答えしてくださいますが、世の中まだ捨てたものではないようです。
新たに遠くの目的地に移動する時は、地図をコピーして持参します。車の場合は、装着してあるカーナビに行き先を入力します。ルートも5つの中から選定することもできます。以前は車には必ず分厚い地図を持参していましたが、今はカーナビだけ間に合います。最短のルートや事故情報だけでなく、ホテルやレストランなどの情報も満載で、しかもテレビまで映ります。こうなると便利過ぎて漢字が書けなくなるのと同じで、地図が読めなくなり、行き先を探すことができなくなるかもしれません。