50年ほど前に一眼レフのカメラを父親から買ってもらい、写真の撮影に夢中になりました。写真を撮るだけでなく、フィルム現像から印画紙現像、そして写真にしてコンテストに出して評価を得る一連の楽しみもありました。特に毎月の写真クラブの例会には、先輩方の喧々諤々の指摘を受けて落ち込んだり、逆に奮起したりして「次月はもっと褒めてもらい賞を取るぞ!」と意気込んで楽しく取り組んでいました。当時日本を代表する写真家の植田正治氏と塩谷定好氏が鳥取県におられて、その多くの仲間とともに写真活動がとても盛んな時代でした。
当時はフィルムや印画紙など写真の部材は、とても高く簡単に撮影できる状況ではなく、一枚の写真のためにシャッターを1回押すにも勇気がいったものです。そのためにフィルムを入れないで撮影する「空シャッター切り」を何度もやりながら、フレームワークやシャッターチャンスを狙う訓練を重ねていたことを思い出します。
実際に撮影する時には、慎重にシャッターを押していました。写真撮影や勉強会で先輩方から教えて戴いたのは、「何でも取り込むのではなく、被写体のなかから訴えたいものだけを撮れ!」というものでした。「カシャ!」という音は、被写体との真剣勝負の一瞬の引き算の計算が終わった瞬間でした。
しかしこの訓練が、後になって非常に役立つことになりました。必要なものは何かという選択が一瞬でできるようになり、さらにシャッターを切ったその映像を頭に残すことができるようになったのです。訪問先の現場をパッと観た時に、「カシャ」「カシャ」と頭の中でシャッターを押すと同時に、記憶することができる訓練になっていたのです。
一眼レフのカメラの撮影は、ファインダーという小窓を片目で覗き込み、フィルムに撮影される範囲を決めてシャッターを押します。普通右眼で覗き、左眼のまぶたを閉じます。それはファインダーの面積が小さいから仕方のないことでしたが、別の見方をすれば片目で集中して被写体を観ることにあったとも考えられます。
この訓練のお陰で現場を30秒も観れば、いくらでも話ができるほど映像の情報が記憶できます。ただし、財布はどこ?携帯電話はどこ?といったモノ探しは多くなりましたが、トホホです。映像や図などを司るのは右脳であり、文字や言語を司るのは左脳と言われます。でもその情報の蓄積の比は、映像で記憶した方が文字の100万倍ともいわれるほど映像での記憶量があると言われており、もっと活用したいものです。
図1. 一眼レフはまるで虫の眼だ
図2. デジカメは鳥の眼のようだ