10月のご挨拶

 10月になり涼しくて抜けるような青空の日が続くようになりました。食欲の秋、スポーツの秋がやって来ました。日本の四季にはそれぞれの良さがありますが、秋は過ごし易さの面では一番良い季節といえるでしょう。

そしていいタイミングで緊急事態宣言およびまん延防止等重点措置が全都道府県で解除されました。完全とはいえないものの、これまでズシンと頭の上に覆いかぶさっていた重石(おもし)が取り払われたのはありがたいことです。まだ正体不明で変異を繰り返す新型コロナウィルスという強敵が相手ですから、ワクチン接種が広がっても油断は禁物であることは変わりません。しかしこれまでに学んだ「人と人との距離の確保」「マスクの着用」「手洗いなどの衛生習慣」といった基本的な感染対策を怠りなく実行することで、大きな問題の発生は防げるのではないでしょうか。これまでできなかった諸々のことができるようになるのは本当にありがたいことです。

さて、重石が取れたこのタイミングをどのように活用するかを考えて実行することはとても大切だと思います。というのは、重石が取れたので、あとは自動的に良くなっていくということは絶対にないからです。私は長年の大問題であった重石が取れたにもかかわらず風土も経営も全く変わらず、悪くなり続けた会社で働いていた経験があり、この時期に会社を変えることの大切さが良く分かるのです。

私が以前に勤めていた日産自動車には深刻な会社対労働組合の闘争がありました。海外進出のような重要な会社方針に対して組合が反対を表明したため業界で後れを取ったり、外部に対しては環境整備という名目ではあったものの事実はストライキであったりといったことが多くありました。(参照:『日産自動車極秘ファイル2300枚』川勝宣昭著2018年プレジデント社)。私が入社した1974年当時の乗用車の国内シェアはトヨタ自動車が37%、日産自動車が33%、合計70%でトヨタ日産の時代でした。しかし日産はシェアを落とし続け、ついにはホンダに抜かれて3位になりました。

当時、社内の多くの人が経営不振は組合の存在が原因で、この重石が取れれば経営は良くなると思い込み、背後にあった根本的な経営課題の実行遅れから目を背けていました。その結果、1985年に組合問題は解決され重石はきれいに取れましたが、その後も経営は悪化し続け、倒産する瀬戸際まで追い込まれました。ご存知の方も多いと思いますが、ルノー副社長であったカルロス・ゴーン氏が社長に就任してようやく日産は息を吹き返しました。ゴーン氏が若手社員を活用して、それまでできていなかった当たり前のことを実行したからです。(このことは9月17日に配信された津曲公二先生の当会コラム『プロジェクトでカイゼン 第73回』にもプロジェクトマネジメントの観点で取り上げられていますので是非ご参考になさって下さい。)

具体的には、【生産量がトヨタの半分なのに、同じ数の鋼材メーカーから材料を買っていたので量産効果が出ずコスト高だった。➡調達を入札制に変え、鋼材メーカー数を絞った。この時はNKK(日本鋼管)が仕入れ先から外れた。】、【生産部門が作成した日産生産方式は工場内のみの展開であったため、工場内の在庫しか減らなかった。➡販売部門とも連携し全国販売店の完成車在庫も減り、トヨタ並みの在庫レベルになった。】といったそれまでできないと思い込んでいた習慣を打破したのです。やったらすぐにでき、日産は復活しました。

コロナだけでなく首相も変わり世の中はますます変わっていきます。私たちの仕事の仕方もさらに進化させる必要があります。これまでの作り方、売り方、人の育て方などに変えられないという思い込みはありませんか?重石が取れた今、もう一度見直しましょう。もしお困りのことなどおありでしたら事務局までご一報ください。いろいろな形でお手伝いさせていただきます。


日本カイゼンプロジェクト
会長 柿内幸夫