
以前、トヨタ自動車で常務工場長を務めておられたN氏に、「トヨタの皆さんは在庫をしっかり管理しておられますね」とお話ししたことがあります。するとN氏は笑いながら、「いや、みんな後工程に迷惑をかけたくないから、安全のため少しはゆとりを持っておきたいと思っていてね。私が少し目を離すと、1個増えていたりするんです」とおっしゃいました。「トヨタでもそうですか!」と驚くと同時に、その「わずか1個」という数字にトヨタのすごさを感じました。少しでもゆとり(在庫)を持っておきたいという気持ちは、人として自然な心理です。だからこそ、在庫を極限まで減らすには、目的の共有とカイゼンの実行の両方が欠かせません。
在庫が全くなければ、需要(顧客の要望)と供給(生産)を結びつけられず、納期遅れや信頼低下を招く恐れがあります。一方で、持ち過ぎれば資金を寝かせ、経営を圧迫します。私はこれまで「在庫は罪庫」という言葉を用い、在庫は減らすべき対象だという立場からその方法を説明してきましたが、今回は「カイゼンと経営の関係」という視点から、その意味をもう一歩深く考えてみたいと思います。
コロナ以前、サプライチェーンはインターネットの普及と国際関係の相対的な安定を背景に、グローバルに拡大してきました。ところが、コロナ禍で半導体などの部品供給が滞り、各社が数年先まで予約を入れる異常事態が発生しました。さらに米中関係の緊張などを受け、世界は「グローバルからローカル」へと流れを変え、それまで順調に成長してきたサプライチェーンは混乱・再編が進む状況にあります。その結果、これまで当然視されてきたジャスト・イン・タイムにも、状況に応じた見直しが求められる局面が増えました。
物流構造も変化しています。卸を介さず、工場から顧客や販売店へ直送する動きが広がり、サプライチェーン全体の形が変わりつつあります。こうした環境下では、「在庫をどう持ち、どう流すか」は、ますます経営判断そのものになっています。
したがって、目指すべきは「在庫ゼロ」ではなく、状況に応じて更新される適正在庫です。ゼロは1つの理想の形ではありますが目的化し過ぎると、納期や品質のリスクが高まり、本来の狙いである「需要への確実な対応」と「資金の健全循環」を損ねかねません。唯一の正解があるわけではありませんが、基本は「顧客の納期に確実に応えられる最小限の在庫量」といえるでしょう。需要変動・不良・部材納入遅延などの不確実性を見込み、必要な安全在庫とリードタイム短縮の両輪で水準を決め、定期的に見直すことが大切です。
もちろん、在庫削減は生産部門だけでは成り立ちません。営業・設計・調達・生産管理・技術など多部門が関わる総合的な取り組みです。製造現場は自分たちにできる範囲で流れを止めない工夫を重ねつつ、上流の設計・調達とも連携していく必要があります。すなわち、適正在庫の水準も更新し続けるのです。営業判断として品種を絞り、設計変更によって共通部品化を進めるといった決断も必要です。
重要なのは、「必要なときに、必要な量だけをつくる」流れをつくり、止めないこと。トヨタ生産方式でいう後工程引き取りやジャスト・イン・タイムの発想です。現場が自らの工夫でこれを実現できれば、在庫を減らしても納期を守れる仕組みが生まれます。つまり、カイゼンによって「安心のための在庫」から「流れを生む在庫」へと転換できるのです。
ある部品メーカーでは、月初にまとめて生産していた計画を週単位に分割し、段取り短縮や運搬の工夫を重ねました。その結果、仕掛品は半分以下に減少。倉庫に眠っていた部品が動き出し、資金の回転も向上しました。在庫が削減されたことで、経営的に大きな成果に結び付いたことはもちろん、現場的にも置き場所がスッキリして探す手間がなくなったことで作業が楽になりました。
在庫削減は、経営にとっては資金の有効活用、現場にとっては作業効率とスペースのカイゼンという双方のメリットがあります。大切なのは、その意味を経営者が現場と共有すること。「在庫が減った」ということには、「経営的メリットと現場的メリットの両方がある」ということを伝えることで、現場の意識が変わり、継続的なカイゼンへつながります。