「コミュニケーション」という言葉は、今では使い古された表現のようにも感じますが、現場で実際に起きている行き違いを見るたびに、これは永遠のテーマだと痛感します。
79話〜81話の「今の若者」、89話〜91話の「言語を変える」、そして現在書いている95話〜の「人を育てる力」といったテーマを執筆する中で、私は思いがけず、これまでの自分の考え方や姿勢に深く向き合うことになりました。そして、これまでも「分かっているつもりだったが…」という場面に、何度も出会ってきたことを思い出しました。当時の私は、すべてをきちんとできていたわけではなく、後になって「ああすればよかった」と反省することもしばしばありました。また、近年の変化に最近になって再確認、発見するようなこともあったのです。
たとえば79話でご紹介した、ある若手社員の退職の話です。私は、社長の依頼が丁寧であったこと、また本人も協力的であったという経緯から、「何が不満だったのか」をすぐには理解できませんでした。ところが、Z世代と日々接している友人の話を聞くうちに、彼らにとって「納得して働けること」や「選択肢があること」が、極めて重要な価値観であることが分かってきました。たとえば、特別手当が出るか?その額や代休の取り方は?といった、以前ならあまり口に出されなかったことについても、今ではきちんとした説明や選択が求められているのです。私はそれまで比較的若い人たちと問題なく接してこられたことで、「自分は分かっている」と思い込んでいました。
また、96話で書いた「失敗の振り返り」についても、思うところがありました。今回、私は、失敗があっても「大丈夫、一緒に考えよう!」と同じ目線で仕事を振り返り、信頼関係を深めながら学ぶことが大切だと書きましたが、昔の私は、失敗した人に対して「なぜそうなったのか?」「どうすれば防げたか?」といった分析的な問いをよくしていました。当時は、それが自然で前向きな振り返りの言葉だと思っていたのです。しかし、あるとき、「なぜ?」という問いが、若い人にとっては「責められている」と感じられることがあると気付きました。これは、単に言葉の選び方ではなく、「受け取り手の気持ちにどれだけ配慮できていたか」が問われる場面だったのだと思います。
さらに、もう一つ気をつけているのが、期待の伝え方です。上司としては「期待している」と言えば、相手もきっと喜んでくれるだろうと思いがちですが、受ける側にとっては逆にプレッシャーとなり、重荷になることもあります。「君には期待しているよ」という言葉は、私たち年長者にとっては励ましのつもりでも、若い人にとっては「失敗できない」という重圧に感じられることがあるのです。
コミュニケーションの本質は、やはり一方通行ではなく、双方向の理解と対話にあります。工場には年齢も価値観も異なる多様な人材がおり、時には誤解や衝突が起きることもあります。だからこそ、両者の間に立ち、きちんと調整していく努力が必要であり、そこにこそ「学ぶ姿勢」が求められるのだと思います。
たとえば、経営者の思いを現場に伝え、現場の困りごとを経営者に届けることも工場長の重要な役割です。その際に必要なのは、単なる情報伝達ではなく、互いの立場を尊重した通訳のような役割であり、丁寧な言葉選びと、相手の気持ちに寄り添う姿勢です。
そして、何よりも大切なのは、「自分が正しい」という思い込みにとらわれないことです。変化する価値観や働き方に対して柔軟に対応し、相手の声に耳を傾けることができる。そのような姿勢が、現場に安心感をもたらし、「大丈夫、一緒に考えよう」と言える関係性を築くことにつながります。工場長とは、年齢や立場に関係なく、現場で問題を抱える人たちの一番近くで、対話を重ねながら支える存在なのです。