今回は「プロジェクトでカイゼン」の番外編、回り道でカイゼン(4)をお届けします。
世界的なコロナ禍において英国はワクチン接種計画で他の国に例を見ない秀逸な取り組みを実践しています。わが国はおみこし経営、欧米はボート経営であり「それぞれに一長一短がある」と本連載で繰り返しとり上げてきました。今回とり上げる英国のワクチン接種計画は、まさにボート経営の長所が遺憾なく発揮されたお手本というべきものです。
英国在住の作家、黒木亮氏の投稿「感染者激減、なぜ英国はワクチン接種で先行することができたのか」(JB press 2021/04/28)が発表されています。この記事をもとに、わが国のおみこし経営に取り入れるべきボート経営の着眼点をお伝えします。
【1】迅速なタスクフォースの立ち上げ
英国がワクチンの大規模接種の計画立案に着手したのは昨年1月10日で、まだ国内で最初の感染者が確認されていない段階でのことだ。
マット・ハンコック保健相(42歳)は、2020年中に大規模な接種を開始することを目標に掲げ、昨年4月、首相直属の「ワクチン・タスクフォース」を立ち上げ、トップにケイト・ビンガム氏(55歳)を据えた。オックスフォード大学の生化学の学位とハーバードのMBAを持つ女性で、バイオテクノロジー企業への投資に長く携わってきたベンチャーキャピタリスト(未公開企業投資家)である。
ワクチン接種計画の立案に着手したのは、昨年1月でまだ同国内で感染者が確認されていないときだったそうです。わが国で横浜港にクルーズ船「ダイヤモンドプリンセス号」が到着したのが昨年2月です。それ以前に事態の本質を直観的に理解したうえで計画の立案に着手したことにまず驚きます。
タスクフォースのトップがベンチャーキャピタリストであることにも、また驚きます。これが、ワクチン確保に威力を発揮することになります(タスクフォースとはプロジェクトとは異なり、緊急性のある問題を解決するために結成される)。
【2】ワクチン確保に成功
金融手法でワクチンを「青田買い」
・・タスクフォースの最大の任務は、英国に必要な量のコロナワクチンを確保することだった。ビンガム氏は「任命されたとき、コロナワクチンが果たして完成するのか、それはいつになるのか、まったく分からない状態だった」と述懐している。
・・世界に300件程度あったワクチン開発計画の中から有望なものを特定し、第Ⅰ相・第Ⅱ相・第Ⅲ相の各試験(治験)、薬事申請、同承認、製造開始など、研究開発の各段階ごとに「マイルストーン・ペイメント」を行なった。これは一定の目標をクリアするごとに支払われる前払金で、ベンチャーキャピタルの手法だ(開発の見込みがなくなれば、その時点で停止される)。こうして最終的に、アストラゼネカ、ファイザー、モデルナ、ノヴァックス、ジョンソン・エンド・ジョンソンなどから4億5700万回分以上(1人2回として全人口の約3.4倍分)を確保することに成功した。
要は、でき上るのを待って売ってもらいに行くのではなく、資金を出しながら開発と製造に関与し、青田買いしたのである。
成功するかどうかもわからない段階から「資金を出しながら開発と製造に関与する」、これがベンチャー企業の活用方法そのものということです。開発の上流からカネを出していく、プロの投資家でなければできないことです。そういうことをやり遂げる人物をチームトップに任命する。まさに、ボート経営のやり方です。
【3】注射打ちのボランティアを1万人養成
タスクフォースがワクチンの調達を進めるのと並行して、保健省傘下のNHS(国営医療サービス)が1日数十万人規模のワクチン接種計画の準備を進めた。
こうした準備を進めるうちに、医師と看護師の数が足りないという問題にぶち当たり、それを克服するために、昨年10月にヒト用医薬品規制を改正し、医療資格のない人でもワクチン注射を打てるようにした。
注射打ちのボランティアには誰でも簡単になれるわけではない。18~69歳で・・・志望動機、過去のボランティア経験、過去10年分の住所など、膨大な量の質問事項に回答し、犯罪歴の有無をチェックされた後、約30分のビデオ面接を受けて人柄などを評価され、コロナウイルスの仕組み・免疫の働き・個別のワクチンの特徴や取り扱いや保管方法・アレルギー反応や心臓発作に対する応急措置・被接種者とのコミュニケーションの取り方などに関して8時間のオンライン学習、丸1日の実技研修を受け、試験に合格することが必要で、応募者のうちコースを修了して合格できるのは20%以下と言われる。
わが国でも注射打ちの医師や看護師をどうするかが課題のひとつですが、英国ではボランティアを育成するために法規を改正した上でち密な仕組みをつくったことがわかります。
【4】大きな武器になった電子化された行政
英国のワクチン接種がスムーズに推進されたもう1つの要因が、進んだ行政の電子化だ。
・・接種の予約も完全電子化されている
タスクフォースの長を務めたケイト・ビンガム氏は、ロンドン市内にも住まいを持っているが、家族と住む家はウェールズの自然豊かなワイ・ヴァレー(Wye Valley)にあり、ほとんどそちらにいて、タスクフォースの仕事はZoomを活用してやったそうである。
電子化された行政と言われると、残念ながらわが国ではなかなか進んでいません。ただ、企業のテレワークなどのDX化は行政とは無関係に企業の努力のみで実現できます。DX化は時代の潮流です。企業がこの潮流に逆らうと後になって取り返しのつかないことが起ります。
【5】戦略的な接種のやり方と前例や常識にとらわれない文化
新型コロナによる死者の4分の3が65歳以上なので、まずそこをターゲットに接種し、さらにワクチン製造メーカーの標準的処方では1回目と2回目の間隔を3週間程度とすべきとされているが、全成人に1回接種を受けさせたほうが、感染抑止効果があると考え、最長で12週間空けることにした。これは一種の賭けであるが、感染者数・死者数の推移を見る限り、今のところ成功していると考えられる。
製造メーカーの標準的処方を鵜呑みにせず、現状を踏まえて独自の判断をしているところが活動全体に流れる雰囲気を伝えています。また筆者の黒木氏は英国の文化について、注射打ちのボランティアのところで次のように記述されています。
英国には、前例や常識にとらわれず、敢然と合理性を追求する文化がある。1970年代の経済危機に際しては、国営企業をあらかた売り飛ばし、1980年代には自国の証券会社がつぶれたり買収されたりするのもかまわず金融市場を開放し、1990年代には電力市場を開放し、電力会社の3分の2が外資になったりした。
わが国のおみこし経営では「前例や常識にとらわれず、敢然と合理性を追求する」ことは弱点のようです。しかし、リーダーがきちんと説明して提案すれば現在のような非常時において頑固に拒否されて事態が身動きできなくなることは無いと思われます。むしろ、リーダーが何かを決意しそれを提案すべき局面で何もしないことのほうがおみこし経営の悪い面を助長する結果になります。
英国の取り組みは、リーダーの意思(決意)をタスクフォースの科学と論理がみごとに支えています。
この結果について現時点で楽観はまだ禁物と書かれています。しかし、結果がどうあれ「敢然と合理性を追求する」姿勢は、どのような経営スタイルにおいてもりっぱなお手本となるのではないでしょうか。