プロジェクトでカイゼン [Project de Kaizen] 第196回

プロジェクトチームの休憩室(44)

連載の前回195回では、スペインでの筆者お気に入りの名所として首都マドリッドと観光都市バルセロナでの見聞を述べました。とくにバルセロナについては、大航海時代の探検家コロンブスが1492年に初めての大西洋横断航海に使われた帆船(サンタ・マリア号)の実物大のレプリカが火災で焼失したことについて現地の防災管理の不行き届きと感じました。とはいえ、こういう重大な落ち度があってもスペインは我われ日本人にとってはさまざまなつながりのある興味深い国であると続けました。そして筆者にとっては、祖父の愛用したコードバンについて現地での再発見に感激したことを書きました。今回はまずこの続きから始めることにします。


コードバンの想い出
これはスペイン特産の革製品の名称と紹介しました。前回書いたように筆者が育った実家は鹿児島の片田舎で、祖父母は近所に住んでいました。その祖父が使っていた帳簿には皮製のブックカバーがついていました。そのカバー付きの帳簿を祖父はコードバンと呼んでいました。これは筆者が小学生だったころのことでした。当時から半世紀余りが経過して、筆者はスペイン出張でそれを現地のデパートで見つけました。そして、コードバンという想い出のある単語がこの地で通用するものであることを初めて知ることになりました。現在でもスペイン特産品として販売されているこういうハイカラなものを仕事で使っていた祖父に対して新たな感慨を持つことになりました。コードバンという名称については、地方都市コルドバに由来しているようでした。

観光大国スペインの地方都市コルドバ
コードバンは同国の都市であるコルドバの特産品です。コルドバはマドリッドやバルセロナなどのように人口300万や100万を超えるような大都市ではありませんが、アンダルシア州の州都です。そして、イスラムの支配下にあったとき建てられたメスキータと言われるイスラム教のモスクなどの観光名所があるところとして知られています。従って、多くの名所をもつ観光大国スペインにおいて外国人向けだけでなく国内のスペイン人向けの観光ツアーにも、ここは定番の名所として組み込まれているようです。首都マドリッドからバスではかなりの時間がかかりますが、新幹線が利用できるようになってからずいぶん便利になりました。

スペインの新幹線AVE
首都マドリッドからコルドバまで約300KMの距離ですが、高速鉄道(AVE)が利用できます。ちなみにAVEは「スペインの高速」の意味ですが、単語としてのAveはスペイン語で「鳥」の意味になります。この鳥は首都からコルドバまで約300KMの距離を2時間足らずで飛ぶことができます。スペインは日本と異なり山坂の少ない平坦な大地を線路はほぼ直線路のように延びています。つまり、わが国新幹線の線路に比べてカーブは少なくあっても緩やかです。従って、走行時の揺れなどはほとんど感じられないレベルに収まっています。新幹線はマドリッドから南下してコルドバからセビリアに達します。ここで1992年4月にセビリア万博が開催されましたが、スペイン新幹線はこの万博開催に間に合わせるように計画されたそうです。日本の新幹線は、1964年10月開催の東京オリンピックに間に合わせるように計画されました。どこの国であれ、新幹線開通などの国家的な事業はこのような国際的イベントに合わせて計画されるようですね。

わが国とは異なる開通事情
ところで、スペイン初の新幹線が首都からセビリアに開通したのが1992年の4月でした。これについて興味深いことを聞きました。同年10月にはバルセロナでオリンピックが開催されたのですね。これがわが国だったら、万博開催よりもオリンピック開催のほうを重視し優先させるでしょう。従って、首都からオリンピック開催都市であるバルセロナへの路線をまず開通させたと思われます。ところが、スペインではそうならなかったのです。その理由として、マドリッド中央政府と地方政府バルセロナの根深い対立があったからと聞きました。新幹線のマドリッド~バルセロナ間が開通するのは、バルセロナオリンピック開催から16年後の2008年2月のことでした。それはともかく、セビリアも観光都市として訪問すべき名所に事欠きません。コロンブスに関係する名所のひとつとしてセビリア大聖堂があります。

セビリア大聖堂
もともとはスペインがイスラム教徒に支配されていた時代にはモスクとして使われていたところだったそうです。イスラムの支配から解放された際、モスクは大聖堂に転換され、カトリック教徒のために使われるようになったとのことでした。
ここを見学して筆者がとくに興味深かったことは、あのコロンブスのお墓があることでした。お墓と言っても、わが国の場合とはかなり異なります。まず棺があって、それを4名の人たちが担いでいるのです。大きさはすべて実物大で、棺と担ぎ手を含めた全体は金属製(青銅?)でしたが、棺の中がどうなっているかは蓋が閉じたままでしたのでわかりませんでした。4名の担ぎ手たちは、当時のスペインにいくつかあった王国の王さまたちと聞きました。つまり、ここでのコロンブスは新大陸の発見者としてそれにふさわしい丁重な扱いを受けていました。

コロンブスはやはり偉人か
コルドバからセビリアではなく別の方向にはグラナダがあります。有名なアルハンブラ宮殿のあるところです。ここはイベリア半島を支配していた最後のイスラム王朝があったところですが、この市街にコロンブスとイサベル女王の銅像がありました。たぶん、コロンブスが大西洋横断航海の支援をイサベル女王に嘆願する場面だろうと思いました。コロンブスには計画だけしかありませんでしたが、女王はグラナダでイスラム王朝との最後の戦いに勝利の見通しがついた時期だったようです。それでこのリスクいっぱいの大西洋を横断する航海プロジェクトへの支援を決断したのでしょう。

(次回に続きます)