プロジェクトでカイゼン [Project de Kaizen] 第195回

プロジェクトチームの休憩室(43)

連載の前回では、スペインでの筆者お気に入りの名所として首都マドリッドと観光都市バルセロナでの見聞を述べました。マドリッドのプラド美術館の展示物はすべて歴代のスペイン国王たちが蒐集した(買い取った)ものであり、大英博物館やルーヴル美術館などのように現地から無断で持ち去ったもの、または強奪したものはひとつも無いという現地の人たちが誇りにしていることを紹介しました。それを言うなら、買い取るためのスペイン国王たちの莫大な資金の出所はどこだったのかという筆者が感じた素朴な疑問を書きました。また、セゴビアの水道橋などの観光名所には日本のような安全柵などの対策はまるで無く、観光に伴うリスクのすべては自己責任に任されていることに驚きました。このような自己責任に頼るやり方は日本のやり方と比べるといかにも大きな違和感があると述べました。今回もこの続きです。自己責任や文化財の保護管理について述べていきます。


サンタ・マリア号の実物大レプリカ焼失
大航海時代の探検家コロンブスが1492年に初めての大西洋横断航海に使われた帆船がサンタ・マリア号だったそうです。筆者が初めてバルセロナを訪問したときはここの港にその帆船の実物大のレプリカが係留されていました。そのとき乗船しての見学は興味深く歴史的なイベントに思いを巡らすことができました。10年ほど経ってからの再度の訪問では、ここで楽しみにしていた見学は全くできませんでした。実物大のレプリカは火災で焼失したとのことで影も形も無くなっておりがっかりしました。

わが国の文化財である寺社仏閣に関わる建築物はそのほとんどが木造で構成されています。これらの文化財は国宝級でなくても防火対策として、失火、類焼や延焼など火災への備えは丁寧になされていると思われます。わが国に比べて、バルセロナでの火災についての備えのお粗末さを感じてしまいました。20年ほど前のこの国ではまだそのような意識レベルや法整備が現在ほどではなかったのでしょう。ところで、筆者は観光客としてこのレプリカ焼失の埋め合わせとなるものをこの港の近くで見つけました。これが前回紹介した海洋博物館でした。

バルセロナ海洋博物館
港の近くにこれがありました。前回、断崖のある野原で幼稚園児の遠足で見かけた風景を紹介しました。すぐ近くに断崖があるのにこの野原には安全柵などが一切無かったのです。それにも関わらず、園児を引率する先生はそのことを全く気にする雰囲気はありませんでした。 この海洋博物館には当然のことながら断崖などの危険な場所はありませんから、小学生などの見学にはうってつけの文化施設と思いました。ところがここでは園児、児童や生徒などは全く見かけたことがありません。そもそもこの博物館ではいつ来ても混みあうことは全く経験したことがありません。バルセロナの人たちは海洋都市の市民生活を満喫しているので、改めてこのような博物館を見学することなど必要無いのかもしれないと思ったりしました。

初めてのバルセロナで購入したもの
当時のバルセロナはデパートや商店は土日休業でした。ただ、土曜日に限って毎月1回は土曜日開店の日がありました。2週間の出張滞在でたまたまこの特別な土曜日があり、この日にデパートでお土産などの買い物ができました。家族へのお土産はこの地方の名物のお菓子がありましたから、割合かんたんに決めることができました。自分のもので、しかもあまりかさばらないものを探しました。デパートに行くと革製品はスペインの特産品としていろいろあるとのことでした。それならと手軽なサイズのビジネスバッグ(書類専用)を購入することにしました。ここでそれを手にしたら40年ほど前に亡くなった母方の祖父がまさにビジネス用のスペイン産の革製品を愛用していたことを思い出しました。

祖父母の実家で遊ぶ
筆者の育った実家は鹿児島県の片田舎でした。自宅から徒歩15分ほどのところに祖父母の住宅がありました。ほとんど毎日のようにここに遊びに行っていました。そして、遊びに行くたびに祖母が茶菓を出してくれました。ときにはお小遣いをもらうこともありました。このように訪問は飛び切りの良いことや楽しいことばかりでしたが、この訪問にはマイナスも伴いました。祖父母宅への途上に放し飼いの飼い犬がいたのです。大人との同行なら問題無いのですが、小さな子供ひとりだけだと吠えたてるのです。この犬はたまに嚙みつくことがあるとのうわさもありました。それで、ひとりの時は大きく回り道をせざるを得ないこともありました。このことについて、姉や兄から筆者は「何事にも慎重だから(回り道をする手間を惜しまない)」と評されましたが、これは筆者が成人してから聞いたことでした。当時は飼い犬の放し飼いはよくあることでしたから、新聞配達や出前のひとからの苦情は様ざまにあったようです。それでも放し飼いはその後もかなりの期間にわたってずっと続いたように覚えています。

安全で安心なわが国の社会
現在のわが国の社会は上述した飼い犬のことなども含めて劇的に安全で安心できるものになったのではないでしょうか。このあたりの変化は我われ日本人には気づかなくても、従来に無いレベルで増加している訪日の外国人観光客には高い評価を受けていることでも明らかでしょう。

つまり、日本社会は外国人観光客にとっても他国のどこよりも安全で安心できるという評価です。筆者がなるほどと思った外国人によるわが国社会の安全性(治安の良さ)の評価をひとつだけ取り上げておきます。それは小学生がひとりで(大人の付き添い無しで)電車通学できることです。この通学風景を目撃した外国人の反響はほとんど仰天したと書いてありました。

ちなみにスペインの首都であるマドリッドでの小学生の通学風景を見たことがあります。ここでは必ず家族の誰かが付き添っているようでした。現地在住の日本人に聞いたところでは子供ひとりだけでの通学はあり得ないとのことでした。付き添いは合計3往復になりますから家族にとってなかなか大変なことだなと感じました。往復3回とは、登校・下校、それと自宅での昼食のためです(ここでは学校給食は無いと聞きました)。筆者の小学校時代の登校・下校は田舎町だったこともあり付き添いなどは皆無でした。遊びに行くときもどこであれ徒歩でした。筆者がよく遊びに行ったのは祖父母の自宅でした。

祖父の愛用したコードバン
山林業を営んでいた祖父は仲介業者との折衝での大阪出張や山林の実地検分などで自宅は留守が多いようでした。在宅時は大きなデスクで算盤(そろばん)を使いながら、帳簿をつけていたことがとても印象に残っています。そろばんは、いわゆる「五つ玉」でかなりの大きさがありました。未就学児だった筆者が、そのそろばんを逆にして馬乗りになって廊下を滑って遊んでいて叱られたこともありました。そのくらいに大きなそろばんがありました。祖父は大きな帳簿をめくりながらパチパチというそろばん玉の音を響かせていました。帳簿には皮製のブックカバーがついていました。そのカバー付きの帳簿を祖父はコードバンと呼んでいました。子供ながらそれが外来語であることはわかりました。初めての海外出張先のバルセロナで皮製のビジネスバッグを買いました。そのときコードバンがスペイン特産の革製品の名称であることを初めて知ることになりました。

(次回に続きます)