セゴビアの水道橋(筆者撮影)
連載の前回では、筆者の海外出張として初めて訪問したスペインのバルセロナでの体験を述べました。今から30数年前の当時、ここは観光都市ではありましたが現在ほどの混雑や観光名所入場の有料化はありませんでした。また、デパートや商店は基本的に土日休業でしたから旅行者にとっては不便なこともいくつかありました。とくに印象に残ったこととして、入場料をとる工事現場という異名をもつサグラダファミリア(聖家族教会)訪問とバル(居酒屋)で見かけた二人のご婦人たちの楽しそうな語らいの風景を述べました。今回も観光都市バルセロナそして首都であるマドリッドについて、筆者お気に入りの名所などについて述べることにします。
バルセロナとマドリッド
スペインで有名な都市と言えば、まずこの二つがあります。マドリッドは首都ですが、観光面からはバルセロナが群を抜いています。例えば、わが国の大手旅行会社のツアー商品として訪問先都市が「バルセロナだけ」はいくつかありますが、「マドリッドだけ」は皆無のようです。つまり、その都市のもつ観光資源の魅力についてわが国では大きな差異があるからツアー商品がそうなっているのでしょう。今回はバルセロナの前にまずマドリッドの名所として筆者は次の二つを取り上げます。
マドリッド プラド美術館
ここの正面玄関前の庭園にはベラスケスの銅像があります。館内にもベラスケスやゴヤなどの作品が多数展示されています。両名ともに世界的に著名な画家ですが現地ガイドの説明によると、「ここにあるすべての作品は歴代のスペイン国王たちが蒐集した(買い取った)ものであり、大英博物館やルーヴル美術館のように現地から無断で持ち去ったもの、または強奪したものはひとつも無い」とのことでした。この説明を聞いてスペインの人たちの「我われは他国とは違うのだ」と言う誇りを感じました。とはいえ、それ以前のいわゆる大航海時代、スペインはポルトガルと競い合って世界分割計画に基づく植民地獲得競争をやっていました。スペイン国王たちが「買い取った」という説明を聞いて、それならその資金の出所はどこだったのかという質問をしたくなりました。
トレド(マドリッド近郊の古都)
ここはわが国で言えば京都のように古都だったところです。歴史を感じさせる街並みが、今もそのまま残っています。ここでは伝統工芸として象嵌細工の工房を見学したことがあります。そこでの売り込みの声掛けを紹介すると、「テヅクーリ!ホンモーノ」、手作りの本物というわけです。これを日本語だけでなく、中国語、韓国語で繰り返し声掛けしていました。面白くてとく
に印象に残ったので今もよく覚えています。この象嵌細工の技術はイスラム教徒によってスペインに持ち込まれ、特にここトレドはその中心地になったのだそうです。その技術が今も消えること無く根付いているのですね。トレド観光の基本は市内を徒歩で巡るわけですが、ソコトレンという観光用のミニバスもありました。乗車すれば時間節約にもなり、モダンなマドリッドとは
異なる古い町並みの情景をゆっくり楽しむことができました。
セゴビア(マドリッドの近郊都市)
ローマ帝国時代に建設された水道橋が有名です。水道橋は、別にここでなくても世界中のあちこちにいくらでもあります。東京の中央線にもあります。水道管は地中埋設が多いようですが、川や谷を超えるときは専用の橋が必要になります。ここが観光名所になったのはその規模が全長約700m、高さ約30mと壮大なものだからでしょう。通常は眺めるだけですが、希望するならこの橋は歩いて渡れるそうです。しかし、ローマ帝国時代の遺構そのままですから手すりなどは一切ありません。わが国ならば安全柵が無い限り立ち入り禁止となるでしょう。ところが、この国では観光名所に限らずどこであっても安全対策の有無にかかわらず、行動は個人の自由に任されているようでした。何をしてもかまわないが、あくまで自己責任ということなのでしょう。
名所の断崖にも安全柵は皆無
あるとき、曲がりくねった峡谷に流れる大河の一角にあるハゲワシの谷という名所を訪問したことがありました。そこでは観光客グループの他に地元の幼稚園児の遠足と一緒になりました。その園児10数名が野原で遊びまわっていました。野原の少し先は断崖になっていましたが、安全柵も何も設置されていません。高所の嫌いな筆者は崖から少なくとも10メートル以上離れて雄大な峡谷を眺めることにしました。ところが、園児を引率する先生はすぐ近くにある断崖を気にする様子はまるでありませんでした。ここでは高所恐怖症も、断崖に必須の安全柵もいずれも無縁のようでした。何ごとにおいてもシンプルに割り切るスペインを感じました。
バルセロナ
ここは地中海に面したりっぱな港湾があり古くから地中海貿易で繁栄した海洋都市です。現在もその位置づけは変わらず、バルセロナはスペインで第2位の人口をもつ大都市です。大航海時代の探検家コロンブスが帆船サンタ・マリア号など3隻で出帆したのはこの港からだったそうです。筆者が初めてこの港を訪問したのは1989年に出張したときでした。当時はサンタ・マリア号の実物大のレプリカが係留されており、入場料を払い乗船して船内を見学できました。思ったよりも小さな船体を見てこれでよく大西洋を横断できたものだと感じたことを覚えています。
その後10年ほど経ってから観光旅行で再度ここを訪問しました。港にはこの木造帆船は影も形もありませんでした。聞いたところでは火災で焼失したとのことでした。木造ですから火災に弱いのは理解できますが、貴重な観光資源である文化財に対する現地の防災管理はひどくお粗末との印象を持ちました。先に述べたように名所の断崖に安全柵などが全く無いことにも通じる安全意識の低さを感じました。
木造帆船は焼失したが
バルセロナの港湾地区はポルト・オリンピコと呼ばれています。1992年のオリンピック開催で選手村がここに建設されたのでそのような名称になったと聞きました。現在は、ビーチ、レストラン街、イベント会場などが集積する観光エリアになっています。サンタ・マリア号のレプリカが焼失して残念に思っていましたが、この地域でその代わりになるものを見つけました。
近くにあるバルセロナ海洋博物館がそれです。太古から近代までの船舶に関する展示はなかなか興味深く、筆者はこれまで何回か入場しました。日本語のオーディオガイドで展示物の説明を聞くわけですが、その男性音声がじつに素晴らしいのです。筆者としてはこれまで聞いたことが無いほどの魅力ある音声に感動しました。それはともかく、この館内には実物大の木造帆船の展示がありました。1階フロアに設置されているので船底と同じ高さから見上げることができますし、2階から乗船すれば船の上甲板を歩くこともできました。これが、新大陸発見にコロンブスが搭乗したサンタ・マリア号と同じようなものかどうかは別として、焼失したレプリカよりもずっと豪華なものに見えました。
(次回に続きます)