連載の前回では、わが国のアニメやマンガはサブカルチャーとして世界的な広がりをもたらしていることを述べました。これらが現在のところわが国以外では作りだせない限り、聖地として秋葉原(東京都千代田区)の地位は揺るがないだろうとの筆者の考えを述べました。また、このような日本ブームはジャポニズムとして江戸時代末期ごろから、欧州で起こったことを紹介しました。当時は現在のようなアニメやマンガと異なるもの、つまり浮世絵などの美術品、磁器・漆器などの工芸品、お茶や絹織物などがブームの対象だったようです。いずれにしても欧州とは地球の反対側にあるわが国に対して熱烈な興味関心が起こったわけです。それはなぜだったのか、現在のアニメやマンガの特長を取り上げるとともに欧米のような一神教ではないわが国独自の宗教観なども取り上げました。今回もこの続きです。
日本人もほっとする
前回は訪日の外国人観光客から「目的地が大混雑していても、日本にいると自分の国にいるよりもほっとする」という感想をテレビのニュースで聞いたことを書きました。そしてそれは欧米のような一神教世界特有の何かしら重苦しい雰囲気のためではないだろうかと感じていることを書きました。それでは我われ日本人に共通する固有の雰囲気や感覚もあるのではないか。それについて筆者体験での一例を述べることにします。
筆者が生産工場に勤務していた当時、担当している鋳造工場の業務で金属を溶解させる大型の電気炉を購入し稼働させたことがありました。金属としては鋳鉄で温度は1500℃にもなりますから、金属はどろどろの液状になったもの2~3トン程度を保持しておくことができる容量をもつものでした。このような設備(電気炉)を電気メーカーA社に発注し、数か月後そのメーカーから搬入・設置する日程が通知されました。担当者として筆者は設置して試運転やその後の稼働計画などのスケジュールを作成し上司に提出しました。
大事なことがもれているね!
筆者が作成したスケジュールを眺めて、上司の最初の指摘は稼働開始のための大事なイベントがもれているから、それを追加しなさいというものでした。メーカーA社は他のユーザー企業向けにも同様な設備を販売していました。従って、設置と稼働についての標準的なスケジュールについてその詳細な情報を筆者は入手していました。それに基づいたスケジュールでしたから、大事なことのもれがあると聞いて筆者としてはちょっと意外でした。心当たりとしてはA社で手掛けた設備としては最大規模の電気容量のものでした。そのあたりに何か追加してやるべきことがあるのかなと思いましたが、さっぱりわかりませんでした。
上司は筆者に向かってにこにこしながら「火の神さまを怒らせていけない」、「そのための神事が必要だよ」と言うのです。つまり、1500℃もの高温の溶融鋳鉄を保持するのだから、火の神さまに対して安全を祈願する。同時に関係する従業員一同は職場の安全を神さまに約束する、そういう神事(イベント)が必要なのだということがわかりました。建物を建設するときの「地鎮祭」があることは知っていましたが、電気設備の導入でもこのような神事が必要なことを初めて知りました。そして今回は建築物でなく電気設備ですから、お願いする神さまは異なるのだろうなと思いました。何しろわが国の神さまは八百万も存在するのですから、今回の目的にぴったりした専門の神さまの出番になるのだろうと想像しました。
すべては順調に進行
本件は総務課が段取りを熟知していると聞いたのでさっそく連絡しました。先方の担当者は「火入れ式ですね」と受け付けてもらえました。筆者としては拍子抜けするほど当たり前のこととして手慣れた様子での応答がありました。一般的に工場でとくに熱源をもつところでは、設備の新規導入などでは普通のイベントなのだと教えてもらいました。そして、日程についても吉日があるとのことでいくつかの候補日を提示してもらいました。
当日はこの設備に関係する従業員やメーカーA社の方々の参加もありました。筆者としては全くの初体験でしたが、神官としてはたまたま筆者が初詣でに参拝するB神宮から派遣されました。ということで、筆者としては仕事でも家庭でもお馴染みのB神宮の登場となり、大いに親近感が増すことになりました。他の参加者はどうかと様子を見ましたが、全く当たり前のことに参加しているようでした。とくにメーカーA社の方々は本社工場のある三重県からわざわざ横浜市まで出張されたのですが、何らの屈託も無いようでした。むしろ「今後とも末永く大事にお使いください」といったメッセージを感じました。
これでみんながほっとする
生産工場に限りませんが、何かの節目に神社の役割があるのはわが国では日常の風景と言ってよいでしょう。例えば、木造建築で骨組みが出来上がったときの上棟式があります。この場合、筆者の出身地では神主を呼ばない略式もありましたが、それでも施主による何らかの振る舞いがありました。筆者の体験では建築に関わる大工さんたち以外に近所のあるいは通りすがりの人たちに向けて、お餅やのし袋が屋根の上からばらまかれていました。大工さんたちなどの重要な関係者は別の場所でもてなしがあるのだと聞きました。家屋を新築することは、現在においても誰にとっても大きなイベントであることには変わりありません。そのスケジュールの節目でこのようなイベントがあったのでしょう。現代のビジネス社会では何につけても時間短縮の掛け声が強く響いてきます。でもこれが目的(最優先事項)になっては面白くありませんし本末転倒になるかもしれません。ものごとの節目を見直し、節目に的確な意味づけをおこなう。これでメリハリの利いた充実感のある仕事の進め方ができるのではないかと考えています。
(次回に続きます)