連載の前回では、講演会などでの居眠りについて、昔と今の筆者の体験を述べました。昔は居眠りする受講者のほうがけしからんという風潮でした。今では居眠りしたくなる、つまり眠気を催す講師のほうが問題だというふうに変化しているのではないかというのが筆者の感想でした。この感想は筆者が講演の当事者である講師を務めているという背景も大きく反映しています。また、組織の中でのさまざまな階層における責任についても取り上げました。筆者が印象的な応答の体験として忘れられない「君たちに責任は無い」との経営トップの言葉を紹介しました。そのことは、わが国は欧米社会とは異なり契約ではなく信頼が前提となる社会であるからと述べました。そして、信頼の前提として規律があるのではないかと続けました。今回もこの続きです。講演会などにおいて聴衆の役割や責任、信頼と規律などについて述べることにします。
聴衆としての努力と義務
講演会についての一般論として聴衆は居眠りなどはせず、まずは講演に耳を傾ける姿勢が必要でしょう。さらに講演の内容や状況によっては、きちんと聴く努力や義務があることも当然のことながら多いのです。例えば、組織にとって必要な講演会があり、そこに組織の代表として参加する場合です。この場合、講演会の内容を組織に戻ってから伝える必要があります。逆に言えば聴講の目的がその分だけ明確になるという好条件が加わります。つまり、単なる聴衆ではなく組織の代表という位置づけや役割が発生します。これは聴く立場としては集中力が増す方向になりますから、好条件と言えます。このような位置づけや役割が意識されると、単なる聴衆のひとりではなく講演会の成功に寄与する協力者の一部となります。
こういう規律を整えた聴衆がいるとそれは講師に伝わります。熱心なあるいは集中した聴衆は講師にとって信頼感が増して何よりの激励になります。これについて筆者が思い出すことを紹介します。
熱心に受講する学生
筆者が工科大学で3年生向け講座の非常勤講師を務めていたときのことです。担当していた科目(技術者の倫理)は必修科目でした。必修科目が三つ以上不合格になると、進級あるいは卒業できなくなるのでそれなりに出席率は良い状況でした。その中でも、階段教室で講師演壇のすぐそばにいつも席をとる熱心な学生が数人ありました。
そのうちに特に熱心なひとりの学生がありました。講義中や講義後にしばしば質問があるのです。とくに講義後は、講義中の疑問だけでなく推薦する参考書の問い合わせなどもありました。学生からのこういうフィードバック情報は貴重なものになりました。筆者の講義資料はすべて自分で作ったものを毎回コピーして配付し、かつそれをスライドに投影しながら授業を進めていました。市販の図書で気にいったものが無かったので、自作せざるを得ませんでした。熱心なこの学生からの情報は、順次、配付する講義資料に反映できました。さらに彼は個人的なこと、工科大学に進学した家庭内の事情などを話してくれました。
薬剤師の資格をもっていた
彼はこの資格をもちその仕事をしていたそうですが、配偶者の実家が機械製造業を経営しており家業を継ぐことになった。それでこの工科大学に3年生から転入し基本から学ぶことにしたということでした。確かに機械製造業であれば、薬剤師の知識・経験だけでは足りないところが様ざまにありそうです。そのため、工科大学で基本から学ぶことにしたのだそうです。そのような転換を思い立ち、そしてそれを実行した決断には大きな感銘を受けました。おそらく、彼の家族もそろってその決断を応援したのだろうと感じました。このような学生の存在は、講師である筆者のみでなく周囲の学生たちにも少なからぬ好影響を及ぼすことになりました。言わば、お互いに信頼という通信線でつながっている感じがしました。
伝説のロックシンガーのひと言
キングオブロックンロールと呼ばれたエルビス・プレスリー(1935~1977年)は昭和世代ではよく知られた存在でした。筆者は中学時代に理科クラブでラジオを組み立てていたころのことでした。当時の片田舎ではラジオの電波事情が悪く雑音の多い中からプレスリーの歌曲が流れていたことを思い出します。時代は移り、テレビやミュージックビデオが普及しました。あるとき、テレビで在りし日の彼のコンサートを放映していました(日本語字幕付きでした)。当時は彼の絶大な人気のピークは過ぎていたと思いますが、会場の熱気が伝わってきました。
彼のヒットソングは数知れずと言われますが、そのひとつを歌い終わったとき、彼は会場の観客に向かってこう言いました。「今夜のお客さんは素晴らしい!」、このような関係はただひと時の時間であっても、お互いの信頼によってつくりあげていくものなのだろうなと感じました。
(次回に続きます)