連載の前回は、空港から市街地までのタクシーサービスについて筆者の海外での体験を述べました。米国のある都市では空港から市街地までのタクシー料金がでかでかと掲示されていました。そして、わが国の国際空港である羽田や成田はタクシー以外の鉄道によるアクセスがきわめてハイレベルであること、また行先別に多くの直行バスのサービスが充実していることを述べました。外国人旅行者にとってわが国への訪問の第一歩できわめて好印象になりそうな状況があります。またわが国のタクシーは基本的にチップ不要であることは素晴らしいが、荷物の取り扱いについては必ずしも十分なサービスレベルに無いとの体験を書きました。
さらには隣国ソウルで見聞した「模範タクシー」の話題から、ビジネスにおいての模範とはなにかについて触れました。今回はこの続きで筆者の体験を述べていきます。
来客応接についてあまりの差異に驚く
わが国の自動車産業は世界を席巻していると言ってよいでしょう。そのようなレベルのわが国メーカーの国内での販売についてトップメーカーA社と追随する2位以下のメーカー(例えばB社)では商品そのもの(ハード面)のレベルでは決定的な差異はほとんど無いように思われます。ところが、販売にかかわるソフト面では大きな差異があるようです。
A社の販売店に顧客として行ったときの対応です。まずは入口ドアを開けると、オフィス全員の方々から一斉に「いらっしゃいませ」との挨拶があります。そこで係員のひとりが来社の目的を訪ね、次に待合室のテーブルへの案内があります。訪問者として、まごつくことは全くありません。訪問目的の担当者が不在のときでも、内容によっては代わりの人物から対応してもらえます。以上は予約無しに訪問したときのことですが、顧客として不満が残る対応は皆無でした。
同じく顧客として行ったときのB社の対応です。入口ドアを開けるとそこにはまずショウルームがあるので、受け付けに行くにはそこを横断する必要があります。受け付けは郵便局のような窓口がひとつだけありました。受け付けの挨拶として「いらっしゃいませ」は受け付けの方だけでの挨拶でしたが、時としてその挨拶が全く無いこともありました。つまり、人によって対応が異なりました。このように受け付けの対応としてはやや不満が残ることもありましたが、依頼した作業の出来栄えについてはA社と同じく完璧なレベルでした。つまり、B社としては依頼した作業、つまりサービスのハード面では差が無いにも関わらず顧客対応というソフト面で大きな差がありました。じつにもったいないことと感じました。
クルマ通勤での体験あれこれ
工場勤務時代の10年間ほどはマイカー通勤をしていました。同じ工場勤務の方々に同乗させてもらう機会がありました。その中で今も記憶に残る印象的なことがいくつかあります。
通勤けものみち・・朝の通勤時の幹線ルートの渋滞を避けるために、いわゆる裏道の利用は欠かせません。同じ部に所属していたCさんのルートは、片側しか通行できないような山道があったり、農家の庭先を横断したりで、同乗している助手席の筆者はハラハラの連続でした。でもこれがいつものルートとのことでした。
ほんとに大丈夫かな・・退勤時に同じ課の上司であるDさんのクルマに筆者を含め課員二人が同乗させてもらいました。1時間ほどの行程の半ばになると夕暮れを過ぎてかなり暗くなり運転のための視界が悪くなりました。同乗していた先輩Eさんが上司であるDさんに丁寧にアドバイスしました。「そろそろスモールライトを点ける暗さになりましたが・・」ドライバーであるDさんの返事には筆者もびっくりしました。それは「うん大丈夫、僕は見えるから」でした。
先輩は模範ドライバー
この先輩Eさんのクルマにしばしば同乗させてもらうことがありました。その的確できびきびした運転にすっかり魅了されました。例えば、そのひとつです。当時は現在とは異なり、5速のマニュアルミッションが普通でした。Dさんは信号待ちの停車時など必ずサイドブレーキを引いてかつミッションをニュートラルにする。そしてクラッチ、ブレーキ、アクセルなど三つのどのペダルにも足をかけないでおく。そのような一連の操作が手際よく短時間で完結していました。これは実に安全で完全な運転ルーティンであると思いました。それ以降、筆者はこれを自分自身のマイカーの運転操作に取り入れその後もずっと実践しています。
部下の育成も丁寧だった
このような運転操作のルーティンをもつDさんは、仕事の面でも同じように見習うべきルーティンの持ち主でした。当時は、毎日夕刻に業務日報を提出していました。担当者として筆者は大学ノートに日報を提出していました。それをDさんがチェックします。彼は修整や補足を追加して課長へ提出していました。筆者の記述がおおざっぱ過ぎたり、重要事項のモレがあったりしました。それをDさんは克明に補筆や加筆をされていました。翌日、戻ってきた日報を見直して「こんなふうに記述すべきだった」とその都度、納得することばかりでした。そして、このプロセスは仕事のルーティンや本質的な重要ポイントを身につけるためにきわめて効果的なものであったと、後年になってようやく知ることになりました。
仕事の進め方でも模範だった
課内での仕事であれば、ここまでに書いたことでほぼカバーできました。しかし、他の部署や社外の企業と関係のある仕事の場合はさらに異なるアプローチが必要でした。Dさんは、複数の社外企業と自社の役割をきちんと把握したうえで良好な関係性を保っていました。後輩の筆者としてはこのルートをしっかり保全するだけでほぼ問題なく、しかも円滑に仕事が進みました。このような環境で仕事の進め方を身に着けていけば、新規の業務や新規の社外企業とのお付き合いも大きな問題なく進めることができました。Dさんのもとで仕事をしたすべての人たちは、職業人として着実に成長しました。彼はじつに優れた職業人であり、かつ人を育てる上司だったことを思い出します。
(次回に続きます)