新・虫の眼・魚の眼・鳥の眼 第22回

ヨーロッパは街中に宣伝広告が少なくスッキリしています

● 日本の店の広告宣伝は、周囲に関係なく派手です
 日本の宣伝広告は看板によくみられるように、赤や黄色が多く使ってあるだけではなく、いかにも人目を惹くように派手になっています。店を探すには便利なようですが、ゴチャゴチャし過ぎて逆にわからなくなり不便です。
 交通標識で1ヶ所に数枚の標識が重なっており、どれを見て良いのかわからないものがあります。自分のところが目立ち、お客様を引き入れることだけを意識しているようです。街全体を見渡し、景観や過ごしやすさを目指すという考えが余り感じられません。
 ですから特に商店街や飲み屋街は混とんとしていて、まるで子どものおもちゃ箱のようです。高度成長期の前の日本は、世界的にも慎ましい国の一つでした。でも現在は、侘び(わび)や寂(さび)というのが、茶道か華道のごく一部の世界になってしまったようです。
 ヨーロッパの広告宣伝は、いつも見てもセンスがあり、しかも美しいものが多くあります。店の宣伝も店からあまりはみ出さないで、そっと知らせる大人びた演出が当たり前になっています。
 デュッセルドルフ市内にハンバーガーショップを開店させる時は、周囲からは、猛反対があり街並みを損なわない範囲での最小限の宣伝になりました。普通のビルの一角に窓枠に、ちょっと店のロゴが見える程度の看板であり、散歩していても素通りするくらいです。
 コーヒーのチェーン店も同様に、ロゴだけがわかる程度になっています。街並みの景観を阻害することは、暗黙の了解になっているようです。
 街並みの景観を損なわないように看板などは最小限にして、色使いもなるべく派手にならないように工夫しています。特に宗教上の制約があり、日曜日は原則として休息日なのでお店は休みになります。
 その代わりにウィンドウショッピングをしてもらい、月曜日以降に訪問してもらうように綺麗に整備されています。そのセンスが良いとお客様は訪問しますが、窓ガラスが汚れていたり、デコレーションが下手だとお客様は寄り付きません。
 流行っている店は、共通してこれらがとても素晴らしいのです。そのセンスは見習いたいものがあり、工場の中も人に魅せられるショールーム化にしたいくらいです。街中は土曜の午後からはほとんどの店が閉店するので、その間に商品や値段をしたためて物色するのが、ヨーロッパの週末のお楽しみです。
 この考えの違いは、伝統を後の世代までつなげていこうという考えが、あるかないかの差だと思います。ヨーロッパでは、どの国でもそれがごく当たり前にあります。

● ヨーロッパは未だに周囲の環境に配慮しているからスッキリしています
 日本の街並みの景観の悪さは、電柱が道路を占拠しているのが大きな要因と思います。電柱があるために、電線や変圧器が露出して見え、さらに鳥も集まりフンも落下させます。最近はテレビアンテナがケーブルになったり、パラボラアンテナになったりしてスッキリしてきました。でも電柱は、街路樹と違ってとても違和感があります。
 ヨーロッパでは、電柱がほとんど地中に埋められていますので、とても街の景観が良いのです。電柱がないので、歩くにも自転車や車にとっても見やすく、事故にもなりにくいのです。でも田舎に出張すると、未だに街中で電柱を見ることがあります。通訳に訊ねると、ドイツではこのように電柱のある地域は、過疎地域で全人口の2から3%くらいの地域だというのです。なんと私のクライアントの半分は、ド田舎にあったのです。でもそれだけのド田舎でも、ちゃんとした技術力や営業力を持ち、世界を相手に商売をしていたのです。
 日本では、電柱を地下に埋めることが少しずつ進んでいます。鳥取県中部の倉吉市でも、その取り組みが始まり駅前通りは電柱がなく、とても空が広く感じられます。でも地下に電線などを埋めるには、約10倍の費用がかかります。費用が掛かるために、なかなか進まないのです。でもヨーロッパでは、やっているのです。それはどのように税金を使うのかがはっきりしており、住民も納得しているからと思います。
 ヨーロッパのほとんどの街が、観光地になっていて景観が素晴らしいので、住んでいる住民も気持ちよいと思います。オランダのアムステルダムは、市内で建物を建てる時はまったく外観は同じにすることが、法律で決まっているそうです。ですから400年前の絵画と同じ建物がそのままであり、それ自体が観光の対象物になっています。

● 新旧のものをうまく混在させて調和を取りましょう
 古いものと新しいものを、上手く調和している街の代表が日本では京都です。200年以上続く店(企業)の件数が、世界で約5500社あるうち約1000社が京都にあります。古き伝統を守りながらも、新しいものを上手く取り込む巧さは、住民の持っている伝統を守っていくという強い想いだと思います。
 時代の流れを読み取るという魚の眼で、ものを見る力が備わっていると思われます。過去や未来を想像しながら、街並み全体像をどうしていくのかを、俯瞰する鳥の眼も大切です。取捨選択を繰り返しながらも、いつも調和を考えていく必要があります。それだけではなく、個々も日々変化しています。
 ミクロ的な見方で詳細に見て、さらに全体像も鑑みながら、どの方向に進むべきかを考えていかないと世の中の変化に追従できません。日本だけでなく、海外にもいつも視点を置き換えながら自分自身の座標の位置を確認して、世の中のために貢献できることを考えたいものです。