思い込みや先入観また固定観念が強いと、あるものしか見えなくなるという現象に陥ってしまうことがあります。勇気をもって、一度リセットすることが大事です。逆に観察をする時に、何を発見するのかということを明確にしておけば、見えなかったものが見えるようになります。これから何かを始めようとする時に、皆さんで合意を取って見るべきものを見定めるようにすれば、発見する数が一気に増えます。
虫眼鏡で太陽の光を一点集中させて、紙を簡単に燃やすこともできることは既に子どもの頃から経験しています。新商品開発なども最初の時に、皆さんで集中して共有化をしておくとぶれなくなり、良いものが開発できるようになるものです。昆虫の眼が、単眼だけでなく複眼も両方持ち合わせているのは、獲物を探したり、敵をいち早く探したりという、切羽詰まった環境から進化したものと考えられます。
私たちの眼は単眼です。しかも肉食動物と同じように顔の正面に左右に位置し、眼の大きさ:眼と眼の間隔:眼の大きさ=1:1:1の割合になるようですが、民族によってその違いが見えてきます。西洋人は狩猟民族だったことで、眼と眼の間隔が少し狭くなり小顔気味です。東洋人は農耕民族で主に草食だったこともあり、少し広くなっています。草食動物は、頭の真横に両目が配置しています。これは敵を発見しやすくする機能が進化したのでしょう。魚の眼や鳥の眼は、主に顔の左右に配置しています。昆虫は、正面だったり左右にあったり、さらには単眼+複眼の複数も配置されたり、トンボのように顔眼全体が眼だったりと、多種多様化しています。
顔の形の違いは、話す言語の違いもあるようですが、主に何を発見したいかが大きな要因と考えられます。仮説ですが、何かに集中の度合いが強ければ、顔は小さくなり眼と眼の間隔も狭まります。大らかな人の顔は、左右だけでなく全体の雰囲気までみようとするので、大黒様のように大きな広い顔になります。どっちも良い点もあるので、それらを上手く活用するにも、まず相手の顔を見て判断というのは意味がありそうです。「Face to Face」とは、的確な言葉だと思います。
また眼が落ち着かなくキョロキョロしていることも、集中できてない信号として受け取ることができます。セミナーや講義をしている時には、聴衆の眼を見て理解しているかどうか、集中しているかどうかを都度確認しながら、再確認ために事例や例え話を出しながら話を進めています。眼は口ほどにものを言うのは本当で、焦点が合ってくるとぶれなくなります。少し意識させることで、気づかなかったことがまた発見できます。
眼が開いているからものを見ているというのは、錯覚だと考えた方が良いでしょう。脳が意識したものだけしか頭には残らず、見たという認識もなくなってしまいます。いわば眼を開いていてもボーっとして脳が寝ている状態は、一見外観からはわかりませんので困ったものですし、大きなムダにもなります。これから何を見るのかということを最初に説明し、目的を明確にして、そのための手段を一緒に検討することでもぶれなくなり、見たいものが見えるようになるものです。ちょっとしたヒントで変わります。
プレゼンも文字だけでは、なかなか伝わりにくいものです。それに写真やイラスト、さらに動画なども付け加えると、見る意識が格段に活性化します。名刺にも文字だけでなく顔写真やイラストを加えると、すぐに思い出せて印象が随分と良くなりますね。